第八話


⁻ Idea rise hall trial. ⁻

 

✧ Side Clare ✧



 吹雪の中出発したクレアとベルントの道のりは順調ではなかった。寧ろ最悪と言える。


 ベルントの案内は雪の冷たさを物ともせず頼もしいが、いつまでも元気に喋ってるので途中から無視していた。

 ベルントの背中越しについて歩いてるとはいえ雪の勢いは衰えることを知らず、クレアの進路に立ちはだかるように吹雪いてくるものだから何度引き返したくなったかわからない。


 けれど真実を自分で伝える仕事に流儀を持つ者としてこの道程を諦める選択肢はなかった。


 けれど、その歩みは自然の落とし穴によって選択を余儀なくされてしまう。


 クレアが不意に身体のバランスを崩した先は雪に覆われた崖下だった。身体を打ち付けた痛みは冷えきった感覚のせいで理解を遅らせたが、やがて脚が動かせないことを頭に告げた。


 助けを呼ぼうとしたが、ここでベルントの話を無視していたのが災いした。

 先導していた彼が遅れてクレアの行方不明に気付いたのか数刻してから「ここにいらしてたんですかお客様! 今降ります!」と頭上から喧しい声が届いたときは流石に安堵したが、その時にはもう身体の冷えと痛みどちらも限界に達しようとしていた。


「お客様! 無事ですか!」

「ほんとに元気ねあなた……」


 見事な身体能力でクレアが不格好に落ちていった崖下まで降りてきたベルントに抱きかかえられる。久々に体温に包まれて己のものとの落差に自嘲する。


「よく……聞いて。私はもう…ここまでみたいなの。だから、私の代わりに街の警察まで伝えて。百年前のとあるホテルの事件と、今回のホテル・カサブランカの事件の類似点を……犯人はまだ、捕まって……ない…」


 唇の動く限り声で警報を鳴らす記事を託した。






✧ Side Herlock ✧
 
 
 広間の呼称とは似つかわしくない暗い面持ち沈み切った沈痛な空気の豪奢なボールルーム。

 行動を共にしていただけに自責を感じているのか、ヴェルナーは痛む頭に引き摺られるように壁にもたれ掛かり煌びやかに広間を照らすシャンデリアの光から顔を避け美しく磨かれた乳白色の大理石へと静かな怒りが滲む視線を落としている。

 アイザックはこのボールルームの中で今一番動きがワンテンポ遅れるだろうと推測しヴェルナーの側に立ってはいるが、凄惨な死に対してホテルマンとして感情を割り切り己の役職に徹底してきたその顔には流石に蓄積されてきた疲弊が見え隠れしている。

 温室の悲劇をそのままに……現場保存と言えど水の中の遺体をそのままにするのは時間経過とともにあまりいい結果を生まないのは明らかだろう。二人と共に水から引き上げ遺体を置いてる外の雪へと運び入れたのは数分前のこと。

 Ms.ポートマンと同じ場所での死。
 その最後の表情は苦痛、解放、穏やか。どちらも死に姿は一見すると似ているが、Mr.ホワイトとMr.ドジャーは前者よりも死に人が関わっている。もしくはお互いが。
 だがそれを知るには二人のバックボーンがピースとして足りな過ぎる。そしてそのピースは今この瞬間には手に入れることができないだろう。

 数分遅れて広間へと入室したアビゲイルが持ってきてくれたのだろう、瓶入りの冷えたミネラルウォーターが栓を抜いた状態で人数分広間の中央テーブルに置いてある。数分前を思い起こさせる物は触りたくもないのだろう、一人を除いて誰も水に手を伸ばさない。

 顎に長い指を添え睫毛を伏せていた一人が瓶に口をつけるとこれからの弁舌に喉を備えてか半分ほど一気に水を流し込み、瓶をテーブルに戻すとゆったりと革靴を往復させ自分の思考を整理するように語りかけるように、探偵は独白をはじめた。

「探偵はその時が来るまで語りはじめるものではないのですが、今この状況を鑑みて最後まで辿り着かぬ思考の途中を皆様にお聞かせしましょう」
「いや、今までも結構お話になってたと思うんですけど」
「あれはただの僕の雄弁なコミュニケーションに過ぎない。今から僕が語るのは、事件現場が語っているものの総括に過ぎない」

 ヴェルナーが鈍い痛みに目を細めたまま、だが注意深く聞き入るようにエルロックへと視線を上げた。

「まず、ホワイダニットが事件によってあまりに違い過ぎる。捧げ物として陰惨に飾り立て、水に穏やかに沈め、はたまた突発的な死……美しい眠りにしたいのか陰惨な死に仕立て上げたいのか。まるで何人もの人物が関わっているようだ」
「何人も、と言うなら犯人は一人見つかってますね。ウズリフさんと一緒に死んだので、実質犯人は一人なんじゃないですか?」

 アイザックの問いかけに少し胸を撫で下ろしていたアビゲイルを視界に捉えたのだろう「いや」と答えたあと、びくりと再び訪れた恐怖に肩を跳ねさせた彼女に軽く掌を向けた後、また歩みはじめた。

「初歩的なことだ。誰が、どうして、どのように、自ら死を選んだであろう遺体もあったが、それにしてもこのホテルにはあまりにも死が多過ぎるとは思わないかね。自ら手をかけずとも、小さな波紋を起こす一雫を故意に垂らす何者かが、自らが死神として鎌を大いに振るいたい何者かが……そう、二人以上の犯人がこのホテルにはいる。そう考えるのが自然だと状況は語っている」
「い、嫌……それは、こ、ここに……」
「ああ、だがこの中に犯人が一人いたとして、更に二人目が同時に介しているとは考えられない。となれば、辿り着くものは既に幕引きをした人物がまだ舞台の上にいる、ということではないだろうか」

 探偵の演説とも似た自信と断言を込めた独白を聞き、触れなくても分かるほど震えていたアビゲイルの重く長い前髪から覗く瞳にひたすらな恐怖から何か引っかかるようなものが混ざっていく。

「そ、れは……死ぬように、し、仕向けるってこと……?」
「カップに死を満たし自らそれを飲むように仕向ける、それを得意とする者はいくらでもいるさ。それが舞台から消えた人物と言うのはミステリーで言えば禁じ手だが、事実は小説よりも奇なりと言う。そして……」

 探偵は歩みを止め、ヴェルナー、アイザック、アビゲイル一人一人へと視線を向け再び口を開いた。

「そして僕は思う。その数奇な類まれなる悪辣たる才能とも呼べる技巧を、悪魔や奇跡の所業と神の名を使わずに世界を証明する為に、探偵は真実を語り言葉は雄弁なのだと」

 まさに、探偵の演説であった。
 ただひたすらに真実を求め、状況が語る声なき声を聞き言葉を語る。それに揺るぎない絶対的な自信を持つ強い言葉は、時には思いがけない人を動かすには十分なものだった。

「わ、わたし……私、見たんです!」

 ホテルで共に勤めるアイザックでさえこんなに大きな声で話すアビゲイルは初めてみた。


✧ Side Abigail ✧


「わ、わたし……私、見たんです……!!」


 探偵の語りの最中、何かが引っかかるように考え込んでいたアビゲイルが意を決してエルロックに向かって声を発した。その今までの人生で一番の覚悟は、アビゲイルが近しい人間以外に発した声としては初めてと言っていい大きさと、胸の下で白くなるほど硬く握りしめてる両の手の指から伝わってくる。

「Ms.ホール、お聞かせ願いたい。貴女がいったい何を見たのか」
「わた、私……悪魔を、見たんです……」


ホテルカサブランカ、その由緒正しき格式高いホテルの記念すべき100周年。
そんな素晴らしい節目の記念に私がここで働かせてもらえていることが、本当に嬉しくて……。
他人と接するのが怖くて、失敗ばかりする私を見放さず辛抱強く教えてくれて共に働くホテルの一員としてくれた同僚達に、そんな自分を迎えてくれた尊敬するオーナーに自分の仕事を完璧にすることで応えたい。共にこの周年を良いものにしていきたい。
そんな思いで、その日はつい夜遅くまで仕事をしていました。
自分の部屋に戻る途中、空き部屋の扉が空いていたので戸締まりをしようと扉に……そうしたら扉の隙間から、見えて……。
わからない、わからないんです。部屋で、あの、お、お酒の、空き缶が……たくさん、あったので……。酔って見た変な夢だったのかも、そんなおかしなものを見た気がしただけなのかも知れないんです……。
で、も……翠の瞳が……扉の隙間から見えたのは人間じゃない、動物なんてものでもない、化け物みたいな、悪魔、みたいな……。でも、でもその悪魔、瞳がオーナーと同じ翡翠の瞳で、目が、合ったんです。


「つまり、君はMs.ホール、悪魔を見たのかね?そしてそれは、このホテルのオーナーであるMr.オーウェンだったと」
「は、はい……こ、こんなこどもみたいな話……すす、すみません……」

 強い覚悟を込めて話すうちに思わず熱がこもり一歩づつエルロックへと近づくほど切々と話を続けていたが、己のあまりの荒唐無稽さに少しづつ自信が萎んでいき、最後は俯き消えいるようないつもの調子に戻っていた。

「いや、僕はそれをこどもの悪夢とは言わない」

 思いがけない肯定に弾かれるようにエルロックに視線を合わせた。

「確かに、そんな与太話を俄には信じられない。けれども、否定を肯定できる材料がなければ、否定もまた否定できないからね」

話せて良かった……。
ずっと、信頼する仲間にも言えず、この惨劇がはじまり、ずっと怖かった。
否定するでもなく肯定するでもなく、ただ私の話を聞いてくれた。
状況は最悪。何も変わらない。
でも、それだけでじっとりとした不安が軽くなったような気がした。
ああ、この人に話して良かった……。

 瞬間、アビゲイルの目の前の人物が血を吹いた。


✧ Side Werner ✧


「僕は思うんです。偉大なる御方を讃え御身を信仰する為に、その至高なる教えを授かる為に言葉は雄弁なんだと」

 ゆっくりと膝から崩れ落ちていくエルロックの背後から、今しがた吸ったであろう血を滴らせる斧を片手で持ったジェシカが落ち着いた様子で何事もなかったように現れた。

「え……?」
「逃げろ!!!」

 壁際にいた二人が中央テーブルにいるアビゲイルを咄嗟に庇う為に走り出すには、ボールルームは広かったようだ。

「そうですよ。子羊は捧げられるものなのですからね」
「や、いや……」

 恐怖にへたり込み床を後ろ手に這って逃げようとするが、エルロックから溢れるまだ生暖かい血が手と床の摩擦を減らすばかりでジェシカは狙いがつけやすいと微笑みながら斧を振り下ろした。

「あら?少し骨に引っかかりました……。大丈夫ですよ。死した後の抵抗でも子羊である事に変わりはないので、ちゃんと綺麗にして捧げてあげます」
「ぅああっ!!」

 頭痛で反応が数秒遅れたヴェルナーが走るそのままの勢いで、首から斧を抜こうとしている狂信者に全力で体当たりをした。

 助走をつけた渾身の成人男性の体当たりで握りしめていた斧ごと、体当たりをしてきた本人共々もつれながらジェシカはふっ飛ばされた。

 戦闘訓練さえしてはいないが狂おしい程の信仰心なのか、一途な狂気故なのかジェシカは体が地面を打ったのも気にもとめず斧を無作為に振り回す。高身長の男性が頭上から振り下ろす一撃はどう考えても致命傷にしかならないだろう。そして相手が確実な殺意を持つなら尚更だ。

「下!」

 咄嗟の声に、これまた咄嗟にヴェルナーはその場にしゃがみこんだ。

「わ、いけません。危ないですよ」

 しゃがみこんだヴェルナーの真横を警棒を構えたアイザックが斧に向かって打ち込んでいったが、セーブをかけない単純な力の差か警棒は難なく斧にあしらわれている。

 なるほど、自分が立っていてはアイザックからは相手がよく見えず、警棒の間合いにも入って邪魔になっていただろう。一瞬見ただけでも理解できるように、アイザックは喧嘩慣れではなく戦闘の訓練を受けた人間の動きをしている。

 だが、このままここにいたらいつ狂気のギロチンが降ってくるかもわからない。アイザックがわざと偏った方に打ち込んで、下方にいる自分に攻撃が向かないようにしてくれているが悠長に考えている暇はない。

 前をアイザック。後ろを自分で挟みこむ事で少しでも隙をつく。
 これが今自分が作れる最善手。
 アイザックの攻撃の間を見てヴェルナーは前方に走り出した。

「ああ、駄目です……。子羊は栄誉を身に受けるその時が来るまで柵の中で夢を見るのです。だから逃げてはいけません」

 斧にすっかり気を取られていた。空いた手に持ったミネラルウォーターの入った瓶でこめかみに痛烈な一撃をくらった。
 視界が揺れる。地面が揺れる。脳が揺れる。

____いま、気を失うわけには……

 ここでヴェルナーの意識はブラックアウトした。


✧ Side Isaac ✧


「は、っ……はぁ、はぁーー……つっかれた」

 肩についた深々とした刃物傷からは絶えず赤い血が溢れていく。殴打痕と浅い切り傷が複数。利き手と反対側で重い一撃をいなした時に腕が折れたのであろう。肩より腕が酷く痛む。

 利き手で体を支えその場に座り込む。
 近くには脳震盪だろう。気を失って倒れているヴェルナー。脊髄に深い一撃をくらったのだろう事切れたエルロックの死体。更に首が歪に落ちかかったアビゲイルの死体。

 そして、複数の殴打痕、不自然に曲がった足、割れて鋭利な武器となった瓶が深々と頸動脈に突き刺さったジェシカの死体。
 辺り一面血の海だ。

「あー……止血剤なんて、ここにあったかなー……これ多分、はーあ……夜まで持たないやつだよなー……。きっついなー」

もう俺しか従業員いないし、料理、大丈夫かな。……寒いな。
やっば。ちょっと眠くなってきた……。

カツン、カツン_

 この惨状で聞くには異質なヒールの音がボールルームをゆっくりと、アイザックに向かってくる。

「あれ……?なんだ、俺もう天国着いた感じかな。それとも天使のお迎え、とか?」

 アイザックの目の前には血の海で純白の愛らしく豪奢なドレスの裾を真紅に染め上げながら、慈愛とも取れる微笑みを湛えたベネロペが座り込むアイザックを見下ろすように立っていた。

 ベネロペは天使の言葉にくすくす笑うとしゃがみこみ、アイザックの瞳に愛おしそうにゆっくりと瞳を合わせた。ドレスがまるで紅で化粧をした白薔薇のように美しく広がっていく。

「ああ、私の大好きな愛しいラヴァー。あなたとディナーを共にするなら、ハートは私のお皿でね♡」





✦ LOST ✦

Clare=Winstone
Abigail Hall
Herlock Holmes
Jessica Necro
Isaac Forsyth