第四話


- Around tea, We're all family. -

✧ Side Snow 


 

 凍死、というクレアの言葉に一同の目が窓の外へ向いた。

 

 窓ガラスを打つ勢いが弱まっているとはいえ、景色は雪で覆い隠されている。実質、連続殺人鬼のいるホテルで殺されるのを待つか、大自然の脅威で殺されるかという二択である。

 

 逃げるか、戦うか。

 脳裏をよぎらなかったわけではない選択肢を突きつけられて、口の中が急激に冷えていく。

 本音を言えばすぐにもホテルから逃げ出したいが、この吹雪の中を行軍するのは自殺行為だ。

 

 スノーの気持ちを代弁するように、エルロックはクレアの提案を一笑に付した。

 

「そりゃあ、大層ごもっともな意見だ。殺されるより先に逃げ出す、みんなそうしたいだろうね。でも、僕の見立てでは殺人鬼に殺されるよりこの吹雪で遭難する方が遙かに致死率が高いと思うけど?」

「あら、そうかしら? 私ならこの因縁深い事件に関わった人間は、口封じも含めてなるべく早く消そうと思うけど」

 

 売り言葉に買い言葉のごとくクレアから示唆された可能性に、スノーは生唾を飲む大きな音を聞いた。

 自分自身の喉以外にも複数人が同じタイミングで唾を飲んだのだろう。

 

 クレアは構わずにつらつらと続ける。

 

「私の記憶の限りでは前の事件のときの生存者はたった一人、その人も命からがらって感じだったみたい。そんな状況が来るかもとわかっていて、普通自分の命をよく知りもしない人に預ける? 私は真っ平ごめんよ。記者は記事を残してこそ。そして私の美学は“情報は正しく伝える”なの。私の中で可能性が不確かならそれは記事にできない。でも、このままここにいたら記事にする前に殺されてしまうかもしれない……どうやら、博識な探偵さんでも命あっての物種という仏教の言葉をご存じないみたいね」

「もちろん……」

 

 知っているさ、とでも続けるつもりだったのか、不敵に笑うクレアにエルロックが引きつった頬を動かした瞬間、スノーの目端に金色の頭が入った。

 意図せずクレアとエルロックを囲むようにしていた客と従業員を掻き分けたデイジーが「恐れながら」と口を開く。

 

「私の意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「もちろん、構わなくってよ」

 

 自分の言葉を引き継ぐようにデイジーを受け入れたクレアに、エルロックがわかりやすくそっぽを向いてふて腐れる。

 すっかり相棒役が板に付いたギャスパルが宥めたところで、デイジーが言葉を紡いだ。

 

「今回の事件に関しましては、私どもの不徳の致すところでございます。オーナーに引き続き、ベルボーイの死でお客様には多大なるご心配とご不安を抱かせていることでしょう。しかし、この辺りの吹雪は特に酷く、冬季に滞在される宿泊客には送迎サービスと天候を見ての対応をさせていただいております。お客様の安全をお守りするのは我々の務めでもありますので、何卒お考え直しをいただけませんか」

「あら、客の意思を尊重するのもホテルマンの仕事ではなくって?」

 

 クレアは窓を背にすると、挑戦的に口角を釣り上げた。

 

「そもそもね、今みたいな記事になる状況で私みたいな記者がただ口を開けて待ってるように見える? 答えは否よ」

 

 クレアの深緑色の瞳が煌めき、口角はますますつり上がる。

 噛みつくような顔で、クレアは謳うような声音を出した。

 

「あなた方ホテルスタッフの心配もわかるけどね。ここはもう安全で優雅な休日を満喫できる環境じゃないの。ある意味で言えば私の職場だし、職場に来たなら私は自分の仕事がしたいわ。でも、あなた方の職場であることもわかってる。だから、吹雪の中に出るのはあたしの独断だしホテルに責任追及するつもりはない__これで納得していただけないかしら」

 

 要約すれば、自分の仕事に口を挟むなということである。

 女性同士の火花散るやり取りに意気揚々と乗り込もうとしたエルロックが、すかさず横のギャスパルに口を塞がれた。

 

 だが、ノーマークだったベルントの「大丈夫ですよ!」という間の抜けた声が、クレアとデイジーの間に張られた緊張の糸を揚々と断ち切る。

 

 

「私が案内しますし、もっと酷い吹雪の中を歩いたこともあります。お客様を遭難させることなんかありませんって」

「あなたは……そうね、あなたは平気でしょうけども。申し訳ございません、当スタッフが」

「いいのよ、案内役はこれくらい自信満々な方が安心できるわ。私だって無茶だってわかってるし」

 

 頭を下げたデイジーにクレアも口角を緩ませる。

 身じろぎの音一つ許さないような緊張が一瞬にして解け、スノーはほっと息を吐いた。

 隣にいたヴェルナーが零した「女性は怖いな」という言葉に漏れたのは、苦笑ではなく深い肯定である。

 男児しかいない学園内ではなかなか味わえないスリルだった。

 

 小さく溜息を吐いたデイジーは説得を諦めたのか、軽く咳払いをして居住まいを正す。

 その瞳はすでに冷静なフロントマンに戻っていた。

 

「かしこまりました。では、せめて出立へ向けて万全のご用意をいたしますので少々お時間をください」

「願ってもないわ。でも、できるだけ早くお願いするわね。少しでもお空の機嫌がいいうちに行きたいから」

 

 承諾したデイジーがその場で素早く指示を出し、従業員は食料係と荷物係、それと残った客の対応係と担当に分かれてその場から散っていく。

 しかし、結局クレアについて吹雪の中を行軍するのはベルント一人のままだった。


 

✧ Side Isaac ✧


 

 ホテルから従業員と宿泊客に見守られつつ、分厚く積もった雪に二人分の足跡が伸びていく。

 

 足跡の先頭には、二人分の荷物を背負いながら慣れた足取りで歩くベルントがいた。

 その少し後ろを、ホテルから貸し出されたコートを自身の上着の上に羽織って着ぶくれたクレアがついていく。

 時折吹雪に煽られながらもベルントの歩みに迷いがないせいか、想定よりも安定感のある行軍に見えた。

 

 屋内でアイザックと共に残った食料の確認作業を行っていたベネロペは、厨房の窓に張り付いて遠ざかる影をいつまでも眺めている。

 

 

 ついに二人の背中がホテル周辺にある木々の中へ消えて見えなくなると、迷子の子供のような声を出した。

 

「本当に、行っちゃいましたね……私でも雪の中を街まで行ける自信ないのに……」

「俺もさすがにこの吹雪の中じゃそうだけどさ、でもベルントさんならきっと大丈夫だって」

 

 アイザックはミルクティー色の団子が二つ並ぶ後頭部に声をかけるが、これで恐らく四度目のやり取りになる。

 ベネロペの目線はまだ窓の外を向いたままだ。 

 心配事は降り積もる雪と同じだけあるのか、アイザックはこの一時間ずっとベネロペを慰めるためだけの相づちを打ち続けている。

 

「お弁当の量、あれで足りるでしょうか。ベルントさん、いっぱい食べるから……」

「俺も一緒に確認しただろ? 多めに持たせてるし、お客様の分までは食べちゃだめですよって言い聞かせておいたから街までは保つはずだよ」

 

 最悪の場合はベルントの狩りの腕もある。

 ベルントさんならクマでも倒せそうだしな。

 

 ただし、捌いて料理するとなると話は変わる。

 ベルントにクレアが振り回されるのは明白だが、すでに出発した後でできることもないと割り切って、アイザックは淡々と皿に料理を盛り付けていく。

 アイザックが担当しているのは足の早い魚を使ったカルパッチョだが、厨房内には甘く香ばしい匂いが充満していた。

 

「アップルパイ、そろそろですか?」

「ええ、焼き上がるまであと少しです」

 

 オーブンの前で用心深く時間を見ているウズリフは、すでに他の仕事を終わらせたようだった。

 クレアが出発した頃合いに合わせ、アイザックとベネロペ、そしてウズリフはお茶会の準備を忙しなく行っている。

 普段なら料理人が行う作業まで担うとなると、仕事量はどっと増していた。

 

 それでも、予定になかったお茶会を急遽執り行うことになったのは、未曾有の事態に陥ったホテルにいまだ滞在する宿泊客へのささやかすぎるサービスである。

 

 発起人はベネロペで、臨時支配人のデイジーも承認した急な催しだ。

 華々しいクリスマスディナーで幕を開けたホテルカサブランカの七日間のプランが、従業員の死で崩れるなど誰が想像していただろう。

 

 本来なら招待客として、格式高く常世離れしたもてなしを受けているはずだった宿泊客達の失望は計り知れない。

 犯人はいまだ不明で、客室に閉じこもる宿泊客もいる。

 ホテルスタッフとして、これ以上の失態は許されないのだ。

 



✧ Side Benelope ✧

 


 透明なガラスで覆われた温室は肌を刺す冬の冷気から植物を守りながら、ささやかな太陽の光だけを室内へ届ける。

 

 一階から二階にかけて、芸術的な模様を描く花と蔓が見事な美しい温室に、スキアーを伴ったエレノアが恐る恐る足を踏み入れた。

 

「これはこれは、ようこそいらっしゃいました! ちょうどお茶の準備が整ったところなんです!」

 

 お茶会を開くなら自慢の場所で、とベネロペが選んだ温室の花に囲まれたステップを、スキアーのエスコートを受けながらエレノアがそろりそろりと小さな足を出してゆっくりと下る。

 秘められた花のような美しいご令嬢のデビュタントにも見える光景に、ベネロペは感激しつつも足早に近寄った。

 

「お姉様から……えっと、デイジーからのお茶会の知らせを聞いてくださったんですよね。申し訳ございません、準備が整いましたらお声掛けさせていただくつもりが!」

「こちらこそ、開催時刻より些か早い到着となり恐縮です。ですが、お嬢様には是非ともこちらのホテルの温室をゆっくりご覧になっていただきたいと思っていたのものですから。他にはまだ誰もいらしてないのですか?」

 

 飛び跳ねるように寄ってきたベネロペに萎縮したエレノアに代わり、スキアーが如才なく長身を傾ける。

 有能な執事然としたスキアーに、ベネロペは同じくホテルスタッフとして親しみやすい笑みで花園を振り返った。

 

「はい、お二人が最初のお客様です。当ホテルのティーパーティーへようこそいらっしゃいました! えっと、温室の出入り自体は自由なので、いつでもゆっくりいらしてくださいね!」

 

 一番乗りと知ったからか、エレノアがそろっとスキアーの影から顔を出す。温室の奥に設置されている橋の向こうのガゼボを見つけると、思わずといったように「素敵……」と感嘆の声と笑みを溢した。

 

「お嬢様はお目が高いですね。 あちらのお席は当ホテルが誇る名スポットなのですよ! お席に準備をいたしますので、ごゆっくり中庭をご覧になってください!」

 


✧ Side Eleanor ✧


 

 温室の最奥にあるガゼボまでは少々入り組んだ造りになっている。

 中心には空に手を伸ばす天使が聳えるバロック彫刻の噴水が置かれており、噴水広間を囲うように建てられた二階廊下のアーチが通行人に植物の影を落としていた。

 

 どこから見てもまるで絵画のような景観を楽しめるように、と計算され尽くされているので分岐も多く、案の定エレノアは最初の一歩から迷ってしまった。 

 

 ガゼボは見えているのに、道は何通りもあって最短ルートがわからない。

 温室内の庭園を満遍なく見て回ってから最後にガゼボでゆっくりしてもらうための造りなのだろう。普段ならきちんと造園した者の意向に添ってじっくり花々を愛で、迷うことすらも楽しんでからガゼボを目指すところだが、エレノアは今すぐにガゼボからの美しい景色の中で少々現実逃避がしたかった。

 

 最初の事件が起きてからというもの、スキアーと共に殆ど部屋に籠もりきりなのだ。

 屋敷からただ一人連れてきた従者で誰よりも信頼しているとはいえ、蝶よ花よと育てられたエレノアにとって殺人鬼はフィクションの怪物と遜色ない。スキアーの守りで凄惨な遺体は見ていないが、美しいものを見て少しでも気分を明るくしたいという気持ちはもはや無視できないほどに大きくなっていた。

 

 美しく楽しい記憶だけを残すはずだったスキアーとの二人旅は今、エレノアが予想していたものから遙かにかけ離れたものになっている。風景画を描くことが趣味なので噂に聞く温室は特に楽しみにしていた場所だが、お茶会の誘いがなければ殺人鬼を恐れて訪れられなかっただろう。

 

「お嬢様、少々よろしいでしょうか?」

 

 黙ってエレノアの後ろに控えていたスキアーの声が、耳元を甘くくすぐる。長身ゆえに、エレノアに話しかけるときはいつも身を少し折ってくれるのだ。

 振り返ると、エレノアがペイントを施した仮面を付けたスキアーが忙しなく動くスタッフの方を指した。

 

「お毒味を兼ねて、あちらの準備を少々手伝ってまいります。見たところ温室内は死角も少ないようですし、お嬢様のお好きな紅茶を淹れられるのは私だけですので」

 

 本音を言えば、すぐガゼボに行けないのならばスキアーには少しも離れてほしくなかった。

 室内でもスキアーの姿が目に入らないと恐ろしくて仕方がなく、そんなエレノアの心中を察してかスキアーもいつも以上にエレノアの面倒を見てくれる。

 だが、ここで「嫌だ」とワガママを言えばいつまで経っても子供のままだ。

 

 エレノアは意を決して、小さく頷いた。

 

「は、はい……お願いしますね」

「かしこまりました。では、こちらのベンチでおかけになってお待ちくださいね」

 

✧✦✧

 

 スタッフと会話するスキアーの背中を見つめていると、先ほどの女性スタッフが小走りで寄ってきた。

 エレノアはまがりなりにもポートマン家の令嬢だ。お茶会の支度は見慣れたもので、整ってこそいるだろうがまだ声を掛けられるタイミングでもないはずである。

 

 スキアーと話をしていたようなので何か言伝かと思ったが、だったらどうしてスキアー自身が来ないのか。

 エレノアが全力で人見知りを発動させ、令嬢にあるまじき強ばった顔を浮かべたところで、女性スタッフは洗練されたカーテシーをして見せた。

 

「スキアー様より、お嬢様をガゼボにご案内してほしいと言付かりました。準備にはまだ少々お時間をいただくかと思いますので、よろしければいかがでしょう?」

 

 にこっというよりにぱっという音が似合うような、人好きのする笑顔と明るい声に毒気を抜かれた。

 そういえば晩餐会で給仕をしてくれたのもこの女性だと思い至り__ようやく名前を思い出した。

 

「ベ、ネロペさんで……よろしいでしょうか?」

「はい! 名前を覚えてくださってたんですね!」

 

 遺体を見て動揺していた姿からは一転して、晩餐会のときと同じようなにこやかさを発揮するベネロペに思わず感心する。

 オーウェンの遺体の第一発見者だった彼女は、かなりショックが強かったはずだ。

 エレノアの前で披露したカーテシーも上流階級の令嬢達と遜色ないレベルで、同世代の女子としては笑顔と同じくらい眩しく見える。上流貴族の集まりでも壁の花になっているか、スキアーの影に隠れているエレノアよりよほど魅力的な淑女だ。 

 心配性が過ぎるスキアーがベネロペに案内を頼んだということは、少なくとも危険はないはずである。

 エレノアは精一杯取り繕った微笑を浮かべた。

 

「ベネロペさん、ではガゼボに一番近い道でご案内願えませんか? お茶会が始まる頃には戻りますけど、どうしてもあそこに少し座ってみたくて」

「かしこまりました! あちらにお茶の準備をすることも可能ですが、どうなさいますか?」

「いえ、それは……」

 

 願ってもないことだが、ここで甘えてしまえば声を震わせずに応対した努力が無駄になる気がした。

 ささやかすぎる対抗意識だが、自分だって淑女である。社交は淑女の嗜みだ。 

 エレノアは居住まいを正してから、優雅に首を横に一度振った。

 

「……せっかくの機会ですから、皆様とご一緒したいです。わたし、部屋に閉じこもってばかりおりましたから」

 

✧✦✧

 

 最初の一歩さえ進んでしまえば、ガゼボまではそう迷う道のりでもなかった。

 植物園と言っても差し支えないような広大な温室だが、品良く整えられた花壇がガゼボへ続く橋までの道を示してくれる。

 

 ベネロペ曰く、エレノアに提案したようにガゼボでお茶を楽しみたいという宿泊客も少なくないため、そういった用途のための導線が確保されているらしい。強がってベネロペに案内を頼んだが、道すがら花の説明をしてくれたので二人きりでも気まずい思いをしなくて済んで、エレノアは内心ほっと息を吐いていた。

 いつまで経ってもエレノアを子供扱いするスキアーに少しでも淑女然とした姿を見せるつもりだったが、肝心の社交術は不得手の極みである。ベネロペが話題を振ってくれなければ、同年代と社交どころか一言も喋れずにガゼボへ到着して消沈していたに違いない。

 

「薔薇はかなり力を入れて多くの品種を取りそろえているんです。お嬢様は特に何色の薔薇がお好きですか?」

「ど、どの花も好きですけれど、好きな薔薇の色といわれますと……あ、」

 

 ちょうど目の前で咲いていた薔薇の前に、エレノアはゆっくりとしゃがんだ。

 カナリアの羽と同じ色の花弁は、中央にいくにつれて若菜色に色づいている。

 花に顔を近づけると、芳しくも強い香りが鼻腔を満たした。薔薇特有の特徴ある香りである。

 薔薇色と言われる真紅でも奇跡と言われる青でもない黄色の薔薇に、以前エレノアは特に印象を持っていなかった。自分の瞳の色と同じだと言われるまでは。

 

「お嬢様も恋をなさってるんですね」

 

 しみじみとした声に図星をつかれ、エレノアは危うく花壇に突っ伏すところだった。

 ギリギリでこらえたが、肩が跳ねたのは気付かれているはずである。

 何よりも一瞬で顔が熱くなったが、はしたなさに構う余裕すらなくベネロペの顔を仰ぎ見る。

 ベネロペはまるで自分が恋してるようなうっとりした顔で、一人うんうん頷いていた。

 

「なっ、ど、どうして……!」

「薔薇を見つめる瞳が恋する乙女そのものですから! それに私にも好きな人がいるので、お気持ちはわかりますよ」

 

 ベネロペは「ないしょですよ」とイタズラっぽく微笑みながら、エレノアの横にしゃがむ。ベネロペが指差したのは、お茶会のテーブルだった。

 

「あそこでお菓子の準備をしている人が、私の好きな人です」

「あの方って……ベネロペさんと一緒に晩餐会で給仕をなさっていた?」

「はい! アイザックって言うんですけど、格好良くて私の一目惚れなんです! ずっと好き好きってアピールして、ようやく付き合ってもらえるようになって」

 

 きゃあっと乙女の顔で語ったベネロペに、エレノアの口からはつい勢いで「こわくなかったのですか?」と本音が滑り落ちていた。

 

「へ? こわい?」

「あ、その……、相手が素敵であればあるほど、想いを伝えるのは不安になるものじゃないですか……?」

 

 少なくとも、エレノアの恋はそうだ。

 意気地なしの自分なんかでは釣り合いが取れるはずがないとわかっている相手に恋をした。

 振り向いてくれるわけがない。

 何より、エレノアに好きだと告げられたら困るような相手なのだ。

 なのに、諦められない。

 だからエレノアは、スキアーを伴ってホテル・カサブランカまで来たのだ。 

 

 どうせ零れた本音なら全部零してしまえ、とぽろぽろ止めどなく溢れたエレノアの不安をベネロペは黙って聞いていてくれた。

 いつの間にか涙ぐんでいたのか、背中を優しく擦られる。

 

「きっと困らせてしまうってわかっているんです。でも、好きなんです……人が亡くなっているのに、気付いたらわたしこんなことばかり考えていて、ほ、本当に嫌な子なんです……!」

「そんなことございませんよ。恋の前では誰だってそうなるものです」

 

 子守歌のように穏やかな声音で囁きながら、ベネロペは目の前の薔薇を一本手折った。

 淑女らしからぬ行動にエレノアが目を剥くと、ベネロペはエレノアの背を撫でていた手の人差し指を立てる。

 

「内緒ですよ? でも、こういうときは花占いが一番です! 私はよくマーガレットの花を使っておりましたが、好きな人を思い浮かべやすい花でやるのがいいので」

 

 エレノア様は何を占いたいですか?

 

 

 問いかけられながら受け取った黄色い薔薇は、エレノアの心そのものに思えた。

 

✧✦✧

 

 最後の一枚が散ったタイミングで、エレノアはベネロペに言ってテーブルまで戻ることにした。

 

「ガゼボはよろしいんですか?」

「はい、だって他のお客様がお揃いですし……ガゼボにはのちほど、スキアーさんに連れて行ってもらうことにします」

 

 案内を頼んだのにすみません、とエレノアが頭を下げると、ベネロペは笑顔で首を横に振った。

 

「とんでもございません! こちらこそご要望はガゼボでしたのに、寄り道をしてしまって申し訳ございませんでした」

「そういえば、ガゼボまでの最短ルートをお願いしておりましたね」

 

 ルートは間違いなかったのだろうが、すっかり話に花が咲いてしまった。

 話題が花だっただけに洒落が効いていて、エレノアとベネロペは顔を合わせて小さく吹き出す。

 

「ベネロペさん、またわたしと……お話ししてくれますか?」

「もちろんです! 花のお話でも恋のお話でも、たくさんおしゃべりしましょう!」

 

 またもや零れた本音だったが、ベネロペの即答に救われる。

 同年代と__他人とこんなに楽しく話せたのは、スキアーを除くとベネロペが初めてだ。

 宿泊客のエレノアと違い、ホテルに勤めているベネロペは多忙だろう。

 そうでなくとも今のカサブランカホテルは殺人事件という未曾有の事態に巻き込まれており、被害者はホテルの人間だ。

 吹雪と積雪のせいで街からの救援が見込めない以上、人手不足や物資不足は誰の目にも明らかである。

 

「あの、私にできることがあったらなんでも言ってください。それこそ、この事件が終わった後でも……」

 

 エレノアにできることは少ないかもしれないが、ポートマン家であればできる助けもある。

 エレノアの出自を知っているかはわからないが、ベネロペは嬉しそうに頷いた。

 

✧✦✧


 

 

「へー、お茶会って言うからもっとお上品なものなんだと思ってたけど、案外ラフなんだねん」

 

 鼻歌交じりのコフィンはスキアーに「俺のはブランデー入りで♪」と注文を付けていた。

 紅茶係に任命されたのか、はたまた立候補したのか。スキアーはお茶会が始まってもアイザック達と一緒に給仕役に回っている。そんなスキアーにコフィンは、あれこれちょっかいをかけているようだった。

 

 エレノアが戻ってきたときにはすでに絡んでいたので、他の招待客の中でも早めに到着していたのだろう。スキアーが淹れる紅茶も、すでに二杯目のようである。

 

 お茶会に招かれた宿泊客達は、行方不明者やホテルを出発したクレア、そして厨房の防音性を確かめに行ったというエルロックらを除いて全員が集まっているようだった。

 

 初日の晩餐会でエレノアが少し話したスノーは、親しくなっていたスタッフの惨劇で暗い顔である。そんなスノーを気にかけるように、ヴェルナーが付き添っていた。

 

 スヴェンとナジーは紅茶の香りを楽しみながら話し込んでいて、ベネロペも給仕の仕事に戻っている。

 エレノアはスキアーにエスコートされて座った席で、ぽつんとしていた。 

 着席するなりスキアーがすぐに紅茶を用意してくれたが、親しんだ味に息をついたのも一瞬である。

 

 クリスマスディナーでは記念を祝した華々しい空気に気を取られ、その後は混乱と恐怖に包まれていたが、エレノアはそもそも複数人という空間が苦手だ。 

 生来の引っ込み思案に加え、人の会話の輪に入ることなど家族間でも難しいほどの小心さである。


 途中からとはいえベネロペとは普通に会話できていただけに、急激にいたたまれなくなる。

 エレノアは緊張で冷えていく舌先を紅茶で誤魔化した。

 

「お嬢様、こちらをどうぞ」

 

 紅茶を任されながらもエレノアから目を離していなかったのか、スキアーが持ってきたのは美しいアップルパイだ。

 立て続けの事件で食欲が失せ、思い返してみれば昨晩から固形物を何も口にしていなかったが、好物ならばとサーブしてくれたらしい。


 美しい網目模様のアップルパイの誘惑に負けて、ふらふらとフォークを手に取る。

 一口サイズに切って口に運ぶと、とろりとしたフィリングの風味が口に広がった。

 

「一口でも食べていただけてようございました。それとお嬢様、こちら忘れ物です」

 

 スキアーが懐から出したのは、小さなスケッチブックである。

 思い返してみればお茶会を覗いてみて、輪に入ることが難しそうならスケッチに切り替えると話してあったのに、スケッチブックの存在を失念していた。

 

 これじゃきっと、ガゼボに行けていてもぼんやりしていただけね…。

 

 どれだけ淑女ぶってみようとしても、細やかなところで至らない。

 それは今のエレノアの状況が示していて、スキアーがいなければエレノアはどれだけの人間に囲まれていてもひとりぼっちだった。

 

 スキアーから受け取ったスケッチブックが、斜め上から伸びてきた腕に不意にひょいっと奪われた。

 とっさにスケッチブックを目で追うと、攫っていったのは刺青が刻まれた色黒の手である。

 特徴的な手はしれっとエレノアの隣に陣取っていたコフィンのもので、無遠慮にページを捲ったコフィンは過去のスケッチをぱらぱらと見ていく。

 

「あ、かえして……!」

「へー、いいじゃん」

 

 泡を食って取り返そうとしたエレノアの手をかわしながら、コフィンが事もなげに呟いた。

 いや、事もなげというには色が乗りすぎている。

 楽しそうにページを行きつ戻りつして、エレノアの筆を黒い指先が追った。

 

「これとかすげーセクシーだし、何を魅せたいのかが明確。そのくせ色を乗せると捻くれてるところとか、俺好みだよ」

「そ、れは……」

 

 もしかして、褒められてるの?

 予想外の展開に、スケッチブックを取り戻そうとしていたエレノアの手が彷徨う。

 

 描いた絵を人に見せることはなく、絵を描くことはただエレノアの心を慰めて思いの丈を吐き出すためだけのツールに過ぎなかった。

 スキアーには不可抗力のように手元を見られることもあるが、そのときは「お嬢様は本当に絵がお好きなんですね」と言われる程度である。

 今までスキアー以外に絵を見られたことも褒められたこともなかった。

 スキアーは心にもないことを言わないとわかっているが、いつも自分を甘やかしてくれる彼以外の評価を得られて面食らう。

 コフィンの爛々とした目から目が離せなくなった。

 

「ふーん、写実的なスケッチだけなのかと思ってたけど結構色々描いてんね。あ、でもこのへんは写実っぽく描いてるけど超エロい。オジョウサマってば、何想像して描いてたわけ?」

「きゃー!? やめてください返してください!」

 


 童話に出てくるチェシャ猫のようににんまりと笑ったコフィンが指したのは、男性の手を描いたページである。

 自然画ばかりを描いているエレノアのスケッチブックの中でも異彩を放つページで、遠慮も淑やかさも全てかなぐり捨てて悲鳴と手が伸びた。

 

「そんなパパママに内緒の秘蔵ファイル見られたティーンみたいな反応しちゃう? まっ、似たようなもんか。このへんなんて特にフェチが出てて……」

「も、もう!何も言わないでください!」

 

 エレノアにとって生まれて初めて出した大声だったが、お茶会のさざめきに紛れてしまうほどの声量にしかならなかった。

 ほとんど涙目のエレノアの手を器用に躱しながら、コフィンは不思議そうに「なんで?」と首を傾げた。

 

「自分がマジで良いと思ったモンを描くのがいーんじゃん。ヌケない絵なんてナンセンスだし、そういう意味ではマジであんたの絵、クールだと思うよ。柔らかくて無害っぽく見せてんのに、どっか尖っててさ」


 真に迫ったような__本音をそのままさらけ出しているようなコフィンの言葉に、エレノアの身体は再び固まってしまう。

 思い返してもみれば、エレノアの絵を見ているときのコフィンはからかい混じりとはいえ、これまでの人を食ったような態度ではなかった。

 一枚数百万ポンドの絵を描く芸術家のコフィン・ドジャーが、エレノアの絵を真剣に批評していた。

 

「俺は好きなように描いてきたから基本とか言われてもあんまわかんねーんだけど、何て言うの? オジョウサマの絵ってちゃんと型破りって感じがあるよ。前に誰かに言われたんだけど、型ってそもそも知らなきゃ破れないもんだし、あえて破ろうとしてる奴の絵ってなーんかつまんないんだよな。それを自然体でやってンなら、案外俺ら似たタイプなのかもねン♪」


 ウィンク混じりで締めくくられたときには、ぽーっと顔が熱かった。

 それはときめきではなく__興奮で。

 しかし、エレノアの顔を見るなりコフィンは半眼で「あ、言っとくけどこれナンパじゃないから」とすかさず付け加えた。

 

「あんたの絵はクールだけど、あんたは思うように自分を出せてないウブないじらしさがあるね。やっぱりまだバージン?  まオジョウサマってお家厳しそうだもんねェ♪」

「なっ、~~~~~なんて失礼な方…!」

 

 エレノアは自分の頭に血が上るのを感じた。

 ああ、わたしって人に怒鳴ることができたのね。

 嬉しいような、全く嬉しくないような初めて知る自分の一面である。


 今度こそエレノア渾身の大声はお茶会全体に響き渡ったようで、それまで静観に徹していたらしいスキアーがすっ飛んできた。

 だが、スキアーの影に隠れるどころか「お嬢様、落ち着いてください」と制止されるまで、エレノアはコフィンからスケッチブックの紙を引きちぎらんと手を伸ばしていた。

 

 コフィンは始終楽しそうに笑ったままだったが、エレノアにとっては正真正銘生まれて初めての口喧嘩である。



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