第三話


- Profane a justice. -

✧ Side Daniel ✧


  「お嬢様!」

 フロントに現れた少女を見て、真っ先に動いたのはデイジーだった。

 おそらく十歳前後だろうか。雪景色に紛れたら分からなくなりそうなほど何もかも真っ白な少女が、付き添っていたアビゲイルの手を離れてデイジーに飛びつく。

 腰に届く細い髪も、短く切りそろえられた前髪の下から覗く眉も、大きな瞳の周りを縁取る長い睫毛もすべて地毛らしく、全身が雪のように白い少女だった。

 血の通っている肌はわずかにマグノリアのように淡く紅く色づいているが、それでも頬や首筋は抜けるように白い。あどけない少女を構成する要素の中で唯一色が差されているのは左右で色の違う瞳だけである。右は薔薇の花弁を思わせる紅、左は宝石の様に煌めく緑の見事なオッドアイだった。
 
 そういえば支配人はアルビノだって言ってたっけ。
 
 眼帯で隠された右目の色をダニエルは知らないが、顔面が潰されてしまった以上、もう直接確かめる術はない。だが、デイジーが「お嬢様」と呼ぶ少女には、惨劇の被害者の面影があまりにも強く残りすぎていた。
 
「ああ、ダニエルは初めてだったわね。お嬢様、ご挨拶を」
「わたし、あなたのことは知ってるわ。新しく来たダニエルでしょう?」
 
 少女は小鳥のような声で囀る。
 子供らしい無邪気な目はきらきらと瞬いていて、まだ父親がどうなったのかを知らないのだろう。
 ダニエルが言葉に詰まっていると、デイジーが目を眇めた。ただし、それはダニエルに対してではない。

「......お嬢様、きちんとご挨拶できませんと立派な淑女とは言えませんよ」
「はぁい。失礼しました、ミスターダニエル。わたくしはホテル・カサブランカのオーナーが娘、フレデリカ・オーウェンと申します。以後お見知りおきを」
 
 ドレスの端をちょんとつまみ、古風ながらも美しいカーテシーを披露したフレデリカは、すかさずデイジ ーを見上げて「これでいいでしょ?」と言わんばかりの得意満面な顔を浮かべた。

 

 フレデリカの頭を軽く撫でながらデイジーは長い睫毛を僅かに伏せる。

 その睫毛は細やかに震えていた。

 

「素晴らしいです、お嬢様。ダニエルからの挨拶を待てれば満点でしたね」

「もう、デイジーのいじわる!」

「い、いいんです! 僕も満足にご挨拶できておらず、申し訳ございません。すでにご存じかもしれませんが、ベルボーイを務めさせていただいております、ダニエル・コットンキャンディと申します。どうぞよろしくお願いいたします、お嬢様」

 

 ダニエルが慌てて礼を返すと、フレデリカはいかにも上流階級の令嬢らしい余裕のある笑みで右手を差し出した。

 掌ではなく甲を出されている、と気づき、ダニエルはあたふたとその場に膝を突く。フレデリカの小さな右手を取って甲にキスを落とすと、柔らかで小さな手はするんとダニエルの掌から逃げていった。

 

 真似事ならば何度かしたことがあるが、生まれて初めて行った紳士の礼に目を白黒させるダニエルの肩を、アイザックが気遣わしげに叩く。

 

「お嬢様、あんまり新人をからかわないでくださいよ。これから働いてもらわなきゃいけないのに使い物にならなくなったらどうするんです」

「えー、だってこうするのがレディのたしなみってデイジーが言ってたもん。ねー、デイジー?」

「間違ってはおりませんが、今回に限っては減点ですよ。従業員はファミリーというのがお父様の教えです。そのファミリーに強要はなりません」

 

 デイジーにぴしゃりとやっつけられ、フレデリカが目に見えてむくれる。丸い頬をさらに丸く膨らませた子供は、はたっと頬から空気を抜いた。

 

「そうよ、そのおとうさまはどこ? お部屋にもいらっしゃらなかったし、まだおはようのキスもしてないのよ」

 

 フレデリカの声に、ダニエルはひゅぐっと自分の喉が変な音を立てるのを聞いた。

 こんな日でさえなければ可憐な令嬢との邂逅は心躍らせるものだったはずだが、フレデリカの顔を見てからというもの、ダニエルの胸の内には鉛の塊が居座っているようだった。


 怖々と顔を上げると、フレデリカの纏っているドレスの裾が見える。白地の上等な布で作られたショートドレスには紅い大きなリボンがいくつもついており、首元にはとびきり大きな紅リボンに碧色の宝石が誂えられていた。紅と碧はそれぞれフレデリカの瞳の色で、ドレス一つでオーウェンのフレデリカに対する愛情が透けて見えるようである。

 

 フレデリカはオーウェンに深く愛されていたのだろう。父親を探す子供を前にして、ダニエルは鼻の奥がつんと痛んだ。ここにフレデリカを連れてきたのはアビゲイルだが、何も言えなかった気持ちも途方に暮れた思いも痛いほどよく分かる。アイザックも同じことを思っているのか、肩に置かれたままの手には僅かに力がこもっていた。

 

「__お父様は昨晩の大雪をうけて、街にお話にいったのですよ。ホテルの中も色々と被害を受けましたから」

「ええ? わたし、なにもきいてない」

 

 フレデリカの眉が下がり、哀しげに顔が俯く。

 デイジーはフレデリカと目線を合わせるように、その場へしゃがんだ。マニキュアで美しく彩られた手で、デイジーは指先から愛情が伝わるような優しい所作でフレデリカの両手を包む。

 

「お嬢様はよくお休みでしたから、お父様がご遠慮なさったのでしょう。それに、ホテルの被害が思ったよりも大きかったものですから、電話もうまく通じなくなってしまったのです。だから皆の代表として街へ下りてくださったのです」

「お客様のために?」

 

 いじけた子供の典型のごとく頬を膨らませたフレデリカが、涙目でデイジーを見詰める。

 デイジーの嘘が余計にフレデリカを傷つけたのでは、とダニエルは息を呑んだが、デイジーは慈愛に満ちた瞳を細めて優しい嘘を重ねた。

 

「お嬢様のためでもありますよ。食べるものも暖炉にくべる薪もなくなってしまっては、お嬢様もお困りになるでしょう?」

「それだったらベルントがなんとかするわ! ベルントは狩りも上手だもの!」

「ええ、ご要望とあれば薪でもウサギでもとってきますよ!」

 

 これまで珍しく黙っていたベルントが調子よく片腕を振り上げる。その手にはいつの間にかどこから持ってきたのか、サンドイッチが握られていた。ベルントが皿ごとサンドイッチを持っていると見て、アイザックが悲鳴を上げる。

 

「あ! それ持ってきちゃダメっていうか、そもそも何食べてんですか!」

「ちゃんとウズリフに許可取ってきましたよ。これは従業員分で、自分のです」

「だからって何もここで食べなくていいでしょうが! っていうか、絶対これ一人分じゃないし!」

 

 ベルントが持っている大皿を取り上げるべく、アイザックがすっ飛んでいく。しかし、身長だけでなく手足の長さでもアイザックに勝るベルントには、巧みに避けられていた。

 ベルントとアイザックのやり取りで気持ちが逸れたのか、フレデリカもデイジーに新しくねだり始める。

 

「わたしもおなかすいた! ねえデイジー、おとうさまがいらっしゃらないのなら今日はみんなと一緒に食べていいでしょ?」

「ベルントとだったらいいですよ。ただし、二人ともきちんとテーブルについて座って食べること。アイザック、その皿は悪いけど諦めて。ベルントは一度手に入れた食べ物を絶対に手放さないから。食料の在庫を確認しつつ、追加で従業員用とお客様用の軽食を作ってちょうだい。アビゲイルはお嬢様に紅茶をお淹れして、そのままあなたも一緒に食事をとりなさい」

 

 デイジーはすっくと立ち上がると、てきぱきと指示を飛ばし、フロントに駆け戻った。客室からの内線が鳴ったのだ。

 デイジーの背中を見送りながら、一番の重労働を命じられたアイザックが深々とため息を吐いた。

 

「はー、食材も有限だってのに。まあ、いざとなったら冗談抜きで食材調達はベルントさんに頼もう……オレ、すぐに追加で軽食作っちゃうから、ダニーも今のうちにサンドイッチ二三個つまんどけ。食わないと動けないぞ」

 

 アイザックに促されるが、ダニエルは首を横に振った。

 食べられる気がしないというのもあるが、それよりも寸暇時間があるのならばスノーとの約束を果たしたかった。

 

「スノー様に紅茶をお届けすると約束しておりまして。十五分ほどしたら戻ってくるので、行ってきてもいいですか?」

「なんだよ、それならそうと早く言えって。でも、時間かかっても三十分後には戻ってきてくれるとありがたいかな。そうでなくとも通常営業なら朝食の時間帯だし」

「もちろんです! ありがとうございます!」

 

 さりげなく時間を延ばしてくれたアイザックに礼をしつつ、ダニエルはキッチンへと飛び込んだ。だが、行き先が同じだったアイザックが後から追ってきて、紅茶を淹れ終わるより先に出来上がったサンドイッチがトレイに追加された。

 

✧✦✧

 

 パリン、と割れる音がした。

 

 小さな破片を踏んだような音は、だんだんと近づいてくる。

 ソレを見た瞬間、ダニエルが思わず落としたトレイに乗っていたサンドイッチとティーセットの欠片が踏まれている。

 その証左のように、陶器の破砕音に水気を含んだぐちゃぐちゃという音が混ざっていた。

 

「隠れる必要はないですよ」

 

 

 かの人物を知る限り、考えられないほど穏やかに声をかけられる。

 しかし、ダニエルはとっさに逃げ込んだ書斎から動くことが出来なかった。少しでも声を出してしまわないように、固く自らの手で口を塞ぐ。

 

 書斎机の下は足下が見える仕様なので隠れられなかった。

 なのでダニエルは数多く並んだ本棚の隅、窓際のカーテンに包まって息を殺していた。子供がかくれんぼで隠れるような外からは丸見えになる場所だが、この際誰かが外を通って見つけてくれたら良い。

 

 あの人に見つかるよりは絶対にマシだから。

 

「えーっと、ミスター? すみません、あの方に関する人以外のことって、昔からなかなか覚えられなくって。でも大丈夫ですよ、ちゃんと綺麗にして差し上げますから」

 

 あの方への貢ぎ物として相応しい姿に。

 

 うっとりとした声が扉のすぐ向こうから聞こえて、ダニエルはぶるりと身体を震わせた。窓枠に身体が僅かにぶつかったが、幸いにして音は立たなかった。

 だが、殴打された頭からは出血が止まらない。今にも失血性貧血で頽れそうだが、ここで倒れることは死を意味するだろう。

 

 心臓が脈打つたびに血が流れていくのがわかる。生温かい血が自分の首筋を濡らしていたが、音を立てないのなら今は痛みさえも気にならなかった。


それよりも__ダニエルの瞼にはついさっき見たばかりの光景が焼き付いていた。

 

 瞬きの寸暇でさえ、絵が浮かんで叫びだしそうになるのを震えながら必死に耐える。


 

 最初は、エンバーミングが為されたのだと思ったのだ。

 だから、近くにいたその人に声をかけようとした。

 何か手伝えることはないかと。

 だが、支配人__オーウェンの顔が美しく元の状態に戻りつつあるのを見て、ダニエルは息を呑んだ。

 

 オーウェンの顔は中心部がそっくりそのままくりぬかれた状態で、いかに優秀なエンバーマーでも短時間で修復できるものじゃないだろうということはダニエルにもわかっていた。

 数年前に交通事故に遭った親戚の遺体の復元には半日もかかったのだ。

 顔半分がすでに復元されたオーウェンの遺体をダニエルが見たのは、デイジーが遺体の処置に悩んでいるとこぼした僅か十分後のことである。

 

 だが、ダニエルがトレイを落とすほど慄いたのは異常なまでの復元率ではない。

 

「ああ……ああ……身に余る光栄……なんと尊く、恐れ多いことか……感謝します」

 


 オーウェンの遺体の前にいたその人物は、陶酔しきった様子でエンバーミング途中と思しき身体の前で跪いていた。

 まだ半分空いた顔にそろりと両手の指先を差し入れ、その指についた血を厳かに啜った。

 

 まるで甘露を味わうかのようによく味わい、飲み込むのがもったいないとでもいうように舌の上でよく転がしてから嚥下する。


 常軌を逸した状況に、ダニエルの手からはスノーのところへ持っていく途中だったトレイが滑り落ちていた。 

 大した距離が開いていなかったとはいえ、ダニエルが頭に衝撃を受けたのは背を向けて走り出してすぐのことだった。

 もみ合いになりかけ、振り払って書斎に逃げ延びた。

 がむしゃらだったので、血がどう垂れたのかまでは気が回らなかった。

 

 神様、どうか神様。 


 

 ダニエルは書斎の扉が開く音を聞きながら、天におわす神へ一心不乱に祈りを捧げた。

 

✦ LOST 


Daniel Cottoncandy



✧ Side Snow ✧

     

 時間を決めていたわけではないが、お茶の約束をしていたダニエルが一向に姿を見せない。 
    耐えかねて大広間から顔を出したところにちょうどウズリフが通りがかったので、スノーは反射的にその大きな背中を呼び止めていた。
 
「あの、ダニー......いや、ダニエルを知りませんか? お茶を持ってきてくれると言っていたのですが」
「それは、誠に申し訳ございません。ただいまお持ちいたします」
「いえ、お茶はいいんですが......姿を見ないものですから、心配で」
     
 ダニエルが大広間を立ち去って、すでに一時間が経とうとしている。  支配人が亡くなって立て込んでいるのかもしれないが、その死に様を思い出すと不安に駆られた。
 
    このホテルには今、殺人鬼がいるのだ。
    別に仕事を頼まれて忙しくしているならいいが、大広間ではダニエルの姿どころか声も聞こえてこない。
 スノーの話を聞きながら、ウズリフは僅かに眉間へ皺を寄せた。
 
  「__本来ならばお客様へ申し上げることではないのですが、実はこちらもダニエルを探しているところでして。一時間ほど前にお客様方へ朝食の確認を取りに向かわせたのですが、まだ戻っておりません」

 
 思いのほか大きく漏れたスノーの悲鳴に、大広間に控えていた面々も反応する。
 
 近くの椅子に腰を掛けていたスヴェンが、老人らしからぬ機敏さでさっと寄ってきた。
 他の面々も、緊張した面持ちでスノーの方を見ている。
 
「何かあったのかね」
「それが、ベルボーイのダニエルの姿が見えないそうで......」
「何!? 第二の事件じゃないか!」

 こちらを気にしつつ現像された現場写真を眺めていたエルロックが、すかさず駆け寄ってくる。一緒に現場写真を見ていたらしいヴェルナーとクレアや、巻き込まれていたギャスパルも怪訝な顔で立ち上がっていた。
 
「そういえば気になっていたんだけど、クリエイターくんと一緒に出て行った長髪くんも戻ってないわよ
ね」
「それを言うなら、仕事道具を取りに行くと言ったマッカランも戻ってきてない」
「えっ!? そんな、なんで言わなかったんです!」
 
 クレアとヴェルナーがついでとばかりに切り出した情報に、ギャスパルが泡食ったように叫ぶ。
 だが、スノーとギャスパル以外の大人はそれとなく戻ってこない二人を気にしていたらしい。ただ、スノーがダニエルを一時間待ってしまったように、他の宿泊客達も戻ってこない者に対して「何か都合があるのだろう」と思っていたのだという。

 昨日の晩餐で互いに気にかける程度の知人になったが、大広間に残っているのは誰もが心配し合うほどの関係ではないということだ。

 スノー自身、ダニエルの都合が分からないと言いながら実際は自分の気持ちが落ち着かなくて、先ほどようやくダニエルが戻ってこないことに気付いたのだ。そして、他の二人に関しては戻ってきていないことにすら気付かなかった。
     スノーと同じく何も気付かなかったことが歯がゆかったのか、ギャスパルがやりきれない顔で叫ぶ。  

「人が殺されているんですよ!? もし何かあったら......」
「大した正義感だが、消えた三人のうちの誰かが、Mr.オーウェンを殺したのだとしたら?」
 
 張ったわけでもないエルロックの声が、ギャスパルを制する。
 エルロックは自らの長い指先で顎をさすりながら続けた。
 
「無残な遺体を見た後だ。みんな、ああはなりたくない。見ず知らずに近い他人のために自らの安全を放棄してまで、この部屋を出るきっかけを作りたくないと思うのは当然の心理だ。先ほどクリエーターの青年が言っていたとおり、ここにいる人間はお互い赤の他人同士で、僕らは安全のために一緒にいると言いながら、同時にここでお互いを監視してもいる。ここにいる限り、よほど恨みを買った人間じゃなきゃ全員がグルになって自分を襲うなんて考えないし、もしたとえ中に狼が紛れていてもまずは大人数でいた方が安全だと思うからね。それとも君は、その義侠心で一人でも捜しに行くかい?」
 
    エルロックの鋭い言葉に、ギャスパルは下唇を噛んで押し黙った。

 行けるわけがない。

 同じくエルロックに詰問されている心地だったスノーは、力なく服の裾を握りしめる自分の手を見詰めた。
    あんなに楽しみにしていたホテルなのに、今はこの部屋の外を一人で出歩くのが堪らなく恐ろしい。一歩部屋を出れば自分は狩られる側の人間だと自覚しているからだ。
 オーウェンを殺した人間がシリアルキラーだったら、自分だけは襲われないなどと楽観視できるはずがない。
 反論できずにいるギャスパルに構わず、エルロックは続けた。
 
「まあ、宿泊客の方はそう心配しすぎることもないと思うがね。ベルボーイはともかく、この部屋を出て行った人間は全員君らが部屋まで送り届けたんだろう?」
「はい。ネクロ様もマッカラン様も確かにお部屋までお送りしたことを、担当者から確認しております」
「お二人とも、今し方確認してきたところお部屋には戻られていないようです。そして、お部屋に戻られたお客様の中でダニエルを見たという方もいらっしゃいませんでした」
 
 スノーは自身を取り巻く空気が電流を帯びながら凍ったような心地がした。
 肺に吸い込んだ酸素が鉛のように重く、声の代わりに息を呑んだ音だけが喉から鳴る。
 緊張が走る大広間の中で、エルロックだけが不敵に切り返した。
 
「この一時間で行方不明者三名か。殺人犯がどういう嗜好を持っているかは定かじゃないが、随分と急展開じゃないか」
「認めたくないが、ホームズの言うとおりだな。本来ならばホテル側で探してもらいたいところだが、事態は急を要する。それに人命がかかっている以上、我が身可愛さにかまけず一丸となって探したほうがいいだろう。勿論、皆が良ければだが」
 
 スヴェンが大広間に残っていた面々を見渡す。
 真っ先に手を上げたのは、ナジーだった。
 
「勿論、と申し上げたいところですが、私の目ではむしろお邪魔になってしまいます。ここで皆様を待たせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、元より貴女と Ms.ウィンストンにはここでお待ちいただこうかと思っていた。スタッフの女性陣も ね。いなくなった三人がここへ戻ってくるかもしれないから」
「あら、心外ね。私は捜索隊に加わるわよ」
 
 スヴェンの提案に反駁しつつ、クレアはすでに上着を羽織っていた。
 一度着替えに戻った際に持ってきていたらしく、庭先までの捜索も辞さないと言う。姿勢だけでいえば誰よりもやる気に満ちており、むしろ今まで動くのを我慢していたのだろう。そうでなくとも、ホテルは古い建物ゆえか暖炉のない廊下や部屋は凍えるほど寒い。上着のない者は必然的に室内かつ客室を中心に見回ることになった。
 
「動けそうな従業員の方も集めてもらって、複数人ずつで動きましょう。さすがにこの状況で一人になるのは危険すぎるわ」
「おや、意外だね。記者ならばこういうときこそ単独行動を取りたがるものと相場は決まっているが」

 先ほどから何かと張り合うエルロックから嫌味が飛ぶが、クレアは「これでもホラー映画は好きな方なの」と涼しい顔で言い返した。
 
「こういうとき、欲に走って単独行動をする人間ほど次の被害者になるものなのよね。三人が無事かどうか確かめる前に、自分の命を守る保険くらいかけるわよ」
「では、必ず従業員と宿泊客で組むようにしよう。そうすれば、従業員同士で連絡もスムーズだろうからね」
 
 スヴェンがまとめ、ウズリフが従業員達を集めるための連絡をしようとした刹那、大広間にアビゲイルが飛び込んできた。
 客がいるのも忘れて、といったただならぬ様子に、全員の視線がアビゲイルに集中する。
 だが、アビゲイルには客の姿が目に入っていない様子だった。

「う、ウズリフさん! ダニエル君が......! ダニエル君がぁ......」
 
 今朝スノーが会ったときからは想像もつかないような大声を出したアビゲイルは、雪のように蒼ざめた顔で嗚咽を漏らしながらその場にへたり込んだ。
 自分自身を抱きしめる細い身体は震え、長いアビゲイルの前髪が揺れている。

 最悪のケースしかよぎらないアビゲイルの様子に、スノーは耳の奥で高い金属音に似た耳鳴りの音を聞いていた。
 
✧✦✧
 
    
 しゃくり上げるアビゲイルからウズリフが聞き出したのは、やはりダニエルが遺体で見つかったという話だった。

 現場はキッチンと繋がっている書斎で、第一発見者はキッチンから出ようとしたアイザックだという。 
   
 ウズリフの代わりに軽食を作り終え、ダニエル探しに自身も加わろうとキッチンを出た際、書斎内に割れた茶器の破片が落ちていることに気付き、棚の間に挟まるようにして亡くなっていたダニエルを見つけたらしい。
 椅子に腰掛けた遺体からは眼球がくりぬかれており、代わりに植物の球根らしきものが入れられていた。

 どれも大広間に再び宿泊客を集めさせたエルロックの報告であり、スノーは写真であってもダニエルの遺体を見ることができなかった。
   オーウェンのとき同様、現場検証と写真撮影を終えたエルロックらはその足で自室に引っ込んでいたエレノアとスキアー、そしてコフィンを連れてきたらしい。
   スノーは半ば呆然としながら、エルロックの「連続殺人事件」という言葉を聞いていた。
 
「ベルボーイの遺体は、死斑の様子から死後 30 分程度と予想される。その間、我々はこの大広間でお互いを見張っていたから当然アリバイがあるわけだが、いまだ行方不明のネクロ、マッカラン両名同様君らにはアリバイがないわけだ。犯人じゃないなら捜査に協力してみてはどうかな?」
「あのさァ、あんたの探偵ごっこのためだけに呼び出したわけ?」
 
 心底不機嫌そうなコフィンがエルロックに噛みつく。そしてきょろきょろと大広間を見渡し、深々とため息を吐いた。
 
「さっきみたいなザマが見られると思ってきたんだけど、やっぱここじゃないかァ。支配人はけっこー芸術的だったけど、今度はどんなんなの?」
「被害者は書斎の隅にある姿見で、己の死に様を見るように座らされて死んでいた。死因は撲殺。後頭部の 半分以上が陥没して、生きていられる人間はいないだろ? ちなみに自分で倒れたにしても襲われたにして もそれなりの音がしたはずだが......コック君は何も聞かなかったのかね?」
 
 矛先を向けられ、アイザックは痛ましげに目を伏せた。
 
「聞いてたら見に行ってましたし助けてましたよ。書斎へ続く扉は防音防火性で大抵の音は聞こえない。換気扇を回しただけでも、厨房の外の音は殆ど聞こえなくなるんです。なんなら、後で実験してくれても構わないですよ」
「なるほど。その実験は是非のちほど行うとして......他の従業員の方々は書斎は探さなかったんですか?」
 
 エルロックがわざとらしいほどかしこまった口調で問い詰めていく。
 今、大広間には生存が確認されている全員が集結していた。
 
「ダニエルが戻らないとアイザックに言われたのはホワイト様に呼び止められる直前のことでしたので、まずは向かわせた客室へ向かいました。なおアイザックからの連絡は、厨房の内線からです。ホワイト様へ紅茶をお持ちすると聞いておりましたので、てっきり話が弾んだのだろうと思い、私が大広間と各客室を確認しに行きました」
「その連絡を繋いだのは私です。私はそのとき、フロントにおりましたので。ただ、直前までスタッフルームで別作業をしておりました」
 
    ウズリフとデイジーがそれぞれ答え、続けてアイザックも「用事が長引いても30分で戻ってきてほしい」と頼んだのに戻ってこず、しかし手が離せそうにないのでフロントに連絡したと答えた。
 
「軽食を作りながら厨房で朝食を召し上がりたいというお嬢様の給仕をしてた上に、ベルントさんがとんでもない量を平らげちゃうから手伝ってほしいと思って」
「ということは君のアリバイは成立するな。ちなみに、お嬢様とは?」
 
 ヴェルナーが首を傾げると、支配人と旧知だったスヴェンが「オーウェンの娘だ。このホテルで生活している」と端的に伝えた。
 スヴェンの言葉が耳に入ったスノーの脳裏には、昨日のオーウェンの姿がよみがえる。
 今は瞼の裏か夢の中でしか会えない自分の父の姿にオーウェンが重なり、スノーは思わず口を開いていた。
  
「あの......そのお嬢様は、お父様の死をご存じなのですか?」 
「いえ。今はただ、お出かけしているとお伝えしております」
 
 スノーの問いに答えたのはデイジーだった。彼女の整えられた黒い指先が、自らの腕を強く握りしめる。
 袖にできた皺は、先ほどスノーの裾にできたものとそっくりだった。
 
「ちなみにドアマンの彼も、書斎の音は何も聞いてないと?」
「ええ、食べるのに夢中でしたから」

 毒気を抜かれるような素直な回答をしたベルントに、アビゲイルが震え声のまま後を紡ぐ。

  「わ、私はお嬢様のお食事が終わる頃だと思い、厨房へ向かったところでアイザックさんの声が聞こえて...... それで......」
 
 収まりかけていた震えに再び襲われたアビゲイルの肩を、ベネロペが慰めるように抱く。
 アビゲイルもダニエルの遺体を不意に見てしまった一人で、オーウェンの遺体を見たベネロペと寄り添っていた。

「ちなみに警察にはなんて?」
「それが......実は今朝から不調気味で、先ほどはついにどこへかけてもコール音さえ鳴らない状態になってしまいまして」
 
 地中を這う電話線がどこかで駄目になったのか、はたまたタイミングの悪い不調かどうかは不明だが、デイジーは唯一の生命線である電話の復旧のために朝から奮闘しているのだという。
 話を聞いたクレアは「仕方ないわね」と呟いた。
 
「街までの道は誰か調べたわけ?」
「ああ、それなら途中までですけど自分が。道は雪で埋まっていましたし、この辺りはヘリが着陸できるほどの場所もないので、徒歩での行軍でも警察が到着するまではまだかかりそうって感じでした」
 
 雪は落ち着き始めたものの、またいつ吹雪き出すかわからない。行軍中に吹雪かれれば、凍死の可能性すらある。
 屈強な体格を持つベルントは、自分でも街までは歩いて一日以上かかると締めくくった。
 
「逆に言えば単身だと一日もあれば着くってことよね。迷う危険性は?」 
「それはないですよ。雪に埋もれているとはいえ、歩き慣れた道ですから」 
「じゃあ、案内してちょうだい」
「はあっ!?」
 
 クレアの提案に声を上げたのはギャスパルだけだったが、全員が意表を突かれたように目を見開く。
 コフィンだけは「いいじゃん♪ ここで豚か羊みたいに狼を待ってるよりよっぽど賢いね」と笑ったが、クレアは「それなのよ」と神妙な顔で頷いた。
 
「この二件、手口というか遺体の様子に気になるところがあって。特に今回のベルボーイの彼はまるで悪魔宗教か何かの捧げ物みたいじゃなかった?」
 
 クレアは現場写真から数枚を抜き出した。どれもダニエルの手元を写したものである。
 
「遺体に花束を持たせるのも儀式的だけど、私が気になったのは花束に刺さっていたカード」
 
 オーウェンと違って今回は人目に付きづらい場所ということもあり、警察が来るまでダニエルの遺体には誰も触れていない。遺体が持っていた物も例外ではなく、花束からわずかに見えるカードを苦心して撮影したと思われる写真の一枚を、クレアは指先で掲げた。
 
「花に隠れてきちんと見えないけど、これって悪魔崇拝者とかがよく儀式で使うマークじゃないかしら」
「ああ、僕も確認したがそうだろうね」

    エルロックが事もなげに頷くが、隣でギャスパルがばつ悪そうに目線を伏せている。
    ということは、エルロックはカードを花束から抜き出し、マークの全体像を確認したのだろう。エルロックは悪びれる風もなく「当然、元の通りに戻したし指紋も残していない。証人はギャスパル君だ」と言ってのけた。

「ちなみに髪の毛で隠れていたけど、カードとお揃いのマークは額にも血で書かれていた。悪魔崇拝なんかでお馴染みの、逆さにしたペンタグラムがね。額に印を書くだけでは満足せずわざわざカードを残したのは、誰かへ向けて丁寧にメッセージを送りたかったらしい」
__それは興味深い。そのメッセージにはなんと?」
 
 これまで黙っていたスキアーが口を開く。エレノアを守護するように聳えていた男は、仮面の上から顎をさするような仕草をしている。

 エルロックは口の端を僅かに上げて諳んじた。

  
「『親愛なる我が主へ子羊を捧ぐ』」

「......だってさ。我が主っていうのは誰なんだろうな?」
「ワーオ、本当に羊だったってわけだ。てことは支配人も、その良い趣味した奴への供物だったんじゃない?」
 
 コフィンがぴゅいっと口笛を鳴らす。だが、エルロックに並んで遺体と現場を検分していたヴェルナーが首を緩く横に振った。

「支配人の遺体周辺に悪魔宗教を思わせるものはなかった。花が供物の証拠なのかもしれないが、だったら何故花よりも手配するのが簡単なマークやカードが残されていない? 遺体の様子を見ると衝動的な犯行にしては手が込みすぎているし、二件目から露骨に悪魔崇拝を匂わせてくるのも不思議だ」
「ええ。そして私の記憶が正しければ、フィクションなんかでお馴染みだけど、実は悪魔崇拝者による殺人事件はいまだ起こったことがないの。だけど、そうじゃないかって言われている事件はいくつかあって、そのうちの一つと今回の事件はあまりにもよく似すぎてる。まあ、その事件はおよそ百年前に起きたものなんだけどね。十二人の被害者のうち、一人は行方不明。いくつかの遺体に残された痕跡から悪魔崇拝者による殺人事件じゃないかって言われたけど、結局は謎の殺人カルト集団による犯行という線で落ち着いたみたい。でも、その後の捜査でも犯人は捕まっていないし、証拠不十分で真相は今も闇の中。ただ、今回の事件と照らし合わせたら何か分かるかもしれないわね」
「だから街へ行きたいと? 事件というネタから離れたくないと言い出しそうな君が自殺行為に等しい行動を提案するに足る理由なんだろうな」
 
 エルロックの冷やかしに、クレアは忌々しげに自分のスマートフォンをポケットから出した。
 
「私だって電波が拾えれば、こんなこと言い出さないわよ。でも、カルト集団なら次世代に継承されていてもおかしくないし、何よりベルボーイ君を殺した後の手口があまりにもその事件に模倣されすぎてる。この事件は多分まだまだ被害者が出るわ。殺されるのが嫌だから逃げ出すって考えてもらっても構わないし、凍死遭難ついでに後で警察に疑われる可能性があっても構わない人がいれば一緒に来なさい」

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