エレノアの誕生日、前日__
コンコンコンコン__
いつもの様にノックを4回、その後扉の外から声を掛けるがいつものような愛らしい返事が聞こえてこない。
「お嬢様、失礼致します」
何度かノックをし数分待ったが一向に主の返事はなく、断りの後スキアーは扉のノブに手をかけた。
静かに開いた扉の先には探している部屋の主はおらず、代わりに主役のように白く輝くドレスが開け放たれた窓から抜けていく秋風に裾を揺らしている。
「ふむ……改めて見てもエレノアお嬢様を飾るに相応しいですね」
エレノアの瞳には劣るが、美しいオパールの首飾り。
エレノアの華奢な手を飾るには華美過ぎず、可憐なレースの白い長手袋。
年頃のご息女達が好むような細いヒールでは、もしもの時に躓きエレノアの愛らしい顔を曇らせてしまうかもしれない。靴は歩き慣れた少し低めのヒールを。
つるりとした上等な生地にレースと刺繍、小さなクリスタルを星のように散らした純白のドレス。
デビュタントを飾るにはこれ以上ないほど隙のない一式が、部屋の一角で堂々と出番を待っている。
輝かんばかりの純白のドレスから飾られる花の一本まで完璧に手抜かりなく、明日の為に今日まで綿密に準備を進めてきた。
明日はなによりも大事なエレノアの晴れ舞台。
「さて、それで肝心の主役はどこに行ったんでしょうか。スケッチ道具は……ないですね」
ドレスを揺らし続ける窓を閉め、花や鳥の可愛らしい飾り彫りを施したエレノアの机を確認すると普段置いてあるスケッチブックや画板、机の横にあるはずの簡易椅子も見当たらない。
恐らく、いつもの場所へ気持ちを落ち着けに行ったのであろう。
「こればかりは変わってあげられないのが、なんとも心苦しい」
16回目の誕生日、それは名家の令嬢として逃げられない役割を深く自覚する境の日でもある。
デビュタントは、子女達が社交界へと足を踏み入れる正式なお披露目。
それは即ち婚約者として値踏みする者共の前に、華やかに飾り立てられたエレノアをオークションの美術品よろしく晒し上げる日と言うこと。
純真で怖がりなあの子は嫌がるだろう。
とても、不安だろう。
従者として傍に立つ事を誓った時から、そんな日がいつかくるのは理解していた。時代が流れようと名のある家と言うのは、かくあるものだ。
己の家はもうない、己自身もエレノアを守る従者としてしか存在しない。
力を持たぬ身で、エレノアを社会的に保護してくれるのはこの家しかなかった。
これが、あの子の為。エレノアの幸せの為だった。
「一人で立つあの子の影として盾として、矢面に立ちきれないのが歯痒いな……」
誰もいない部屋で白い仮面を外し、スキアーは溜め息を吐くと落ちてきた前髪をかき上げいつだかエレノアが仮面に施してくれたペイントを眺めた。
「いつまでも、あの子の傍に……。せめて今日は好きなお菓子を持っていきましょう」
明日誰よりも目立つドレスで好奇の目に晒される、可愛いエレノア。きっとそのヒールで一生懸命に立つあの子に、少しでも慰めを。
仮面を被り直すとエレノアの部屋を後にし、スキアーはキッチンへと向かった。
庭木の緑が徐々に枯れていき、ゆっくりと黄色に変わっていく庭。
エレノアは心細い時はいつも屋敷から離れた林檎の木の近くに、迷子の子リスのように身を隠すことをスキアーは知っていた。
正しくは、スキアーだけが知っていた。
奥まったその場所から屋敷は見えず、使用人も庭師もあまり訪れない。
まるで秘密基地のような優しい避難所に、スキアーは幾度となくエレノアを迎えに行った。
淑女と呼ばれる齢になっても変わらぬ行動に、スキアーは愛おしそうに少しだけ笑い声を漏らすとバスケットに入れたアップルパイと紅茶が涼し気な風に冷まされないように、先ほどよりも足を速めエレノアの元へと急いだ。
「いつまでも変わりなく、可愛らしいお嬢様」
分かっている。
エレノア・ポートマンとして、
妹として、
なにも知らずに抱いている好意も。
全てを隠すことの酷さも。
だが、それでも俺はなによりも愛しいエレノアの幸せだけを願い続けている。
己の手で幸せを叶えられるのなら、己の手で守れるのなら、一生この仮面を被り続ける。
小さく愛らしい俺の大事なエレノアのためなら、なんだって。
「ああ、やっぱりここにいましたか」
林檎の木の側、真剣な表情でエレノアが小さな椅子に腰をかけスケッチブックに景色を描いている。
「お嬢様、エレノアお嬢様」
再び声を掛けたこちらに反応を示すことなく、ひたすらに鉛筆を動かし続けているエレノアの邪魔をせぬよう、後ろからそっと描いているものを覗き込んでみる。
絵は教養として知ってはいるが、人並みに描ける程度の己とは違い、エレノアはただの紙にその瞳を通して世界を作れる。
同じ色をした目なのに、エレノアにはどんな風に世界が見えているのだろうか。
分からないが、この小さな手から生み出された絵には、人が評価をするだけの理由がある。
美しい無垢な瞳を通したものには価値がある、これだけは絵に疎くても分かる。
ですが、そろそろお茶が冷めてしまいます。
いい加減気がついて頂きましょう。
「……秋ですね」
「きゃ……!!も、もうスキアーさん、驚かさないでください……!」
集中しているエレノアの横顔にそっと仮面を寄せ、少しだけ声を落とすと驚いた猫のように椅子から飛び退き赤い顔でぷんぷんとこちらに抗議をしている。
「失礼致しました、何度かお呼びしたのですが気づかれなかったのでつい」
己の笑い声をなんとか抑え込み、謝罪をすると運んできたテーブルをセットし好物を詰め込んだバスケットとまだ温かいティーポットをそっと置いた。
「そろそろお茶はいかがですか?今日はお嬢様のお好きなアップルパイですよ」
「……いただきます」
少しだけ不服そうに語尾をすぼめると、エレノアはスケッチ道具を傍らへと置いて椅子へと座り直した。
手早くアフタヌーンティーの準備をする手を、控えめにエレノアの視線が追ってくる。
砂糖で甘く煮ても後味に酸味を感じる林檎のフィリングをたっぷり入れたアップルパイに、甘いカスタードが揺蕩うクリームポット。
それに合わせてエレノアの好みである渋さを抑えた優しい香りが立つダージリンのオータムナルを、空気を含むように少し高い位置から注ぐ。
エレノアが喜んだように早速差し出されたカップを手に取ると、紅茶を喉に流しほっとしたように小さく息を吐いた。
「美味しい……スキアーさんの淹れてくれる紅茶が一番好きです。いい香りがして、落ち着きます」
「お嬢様の心が休まるなら、いくらでも。ですがお悩み事でしたら、飲むよりもお出しになった方が良さそうですよ」
強引に聞くつもりはない、エレノアの性格を熟知した少しつけ入るような聞き方だと内心苦笑しながら、素知らぬ振りをしてあえてゆったりとポットにティーコジーをかけた。
「……お誕生日が、少し……」
仮面でこの顔が覆われていてよかった。
見なくても分かる、今自分は苦虫を噛み潰したような随分な顔をしているだろう。
胸を押さえ呟くか細い声を聞きながらクリームポットを傾け、アップルパイの上からとろりとカスタードを回しかけるとエレノアの前に甘い一皿を静かに置いた。
「大丈夫、お嬢様は少々怖がりなだけで臆病ではありません。それにこんなに素敵なレディの社交界デビューなんて一大事……いいえ、百大事です。寄ってくるのがどこの馬の骨達なのか、しっかりエレノアお嬢様の側でスキアーが見定めさせていただきます」
一人で思い悩み、必死に逃げないように踏み止まっている。怖がりで意外と頑固で一生懸命悩む……変わらないところもある、でも可愛い俺のエレノアは少しづつ成長している。
俺の影から勇気を出して顔を覗かせ、世界を見なければと、ゆっくりでも大人になろうとしている。
「もう……大袈裟です、きっとドレスに着られて浮いてしまいます」
態とらしく真剣な物言いに思わず小さな笑い声を溢すと、エレノアはカスタードを吸い甘く重くなったアップルパイへと金のナイフを入れた。
大好きな甘さに少し心が安らいだようで、普段の花が綻ぶような笑みがエレノアから溢れた。
願わくば、その笑顔をずっと守っていたい。
どうか星のような瞳から涙が零れないように、愛しいエレノアが悲しまないように。
「エレノアお嬢様」
大人になる、なんてことはまだゆっくりでいい。家も年齢も気にしなくていい。
「もう少し秋が深まりましたら、紅葉のスケッチなどいかがでしょう」
……いつか、本物の純白のドレスを着る日がくるだろう。
「よろしければ、旦那様にお許しをいただいて絵を描く小旅行もいいですね」
どこの誰かに、この座をエレノアの傍を明け渡したとしても、それでも影としてずっと。
「スキアーさんも、一緒ですか……?」
なにを賭しても妹の、エレノアの幸せを守り続ける。
「勿論、エレノアお嬢様といつまでもご一緒にいますよ。他の方ではお嬢様の紅茶を任せられませんからね」
「ふふ、はい。スキアーさんの紅茶が飲めないのは困ってしまいます」
空になったお皿をバスケットに戻し紅茶のおかわりを注いだティーカップを差し出したスキアーが、ふと思い出したように左手を腹部に当て右手を後ろ手に回す大袈裟に仰々しいお辞儀をエレノアにすると、視線だけでちらりと屋敷を振り返った。
「あの、どうかされましたか?」
「旦那様からお嬢様へとお言付けを預かっていました」
きょとんと微かに首を傾げ、エレノアは続きの言葉を待った。
「お話があるので明日、書斎に来るように。とのことです。いけませんね、お伝えするのを失念していました」
お屋敷に勤める者としては、本当はすぐに話さなければならないのは承知している。
でもまずはエレノアを笑顔にしたかった、エレノアの従者として。
「スキアーさんが、いてくれるから……少しだけ、ですけど、頑張れる気がします。スキアーさん、お父様に明日の朝お伺いしますと、お伝えして頂けますか」
囲まれた庭の、隠れた場所。
ここにいる二人だけが、まるでエレノアの描く絵のように穏やかに時が止まったようで、スキアーは仮面の下で誰にも気がつかれることのない幸せな笑みを零した。