24th September
エレノアの瞳の虹彩のように瞬きが揺れる、オパールを中心に飾るパールのネックレス。
花模様のレースをあしらった純白の長手袋。
安定感を持たせるために少しだけ太めのヒール。
滑らかな光沢を纏う生地にレースと細かな刺繍、品の良い煌めきを放つスワロフスキーを星のように散らした純白のドレス。
翌日のデビュタントに備えた隙のない一式がエレノアの部屋で、浮かぬ顔の本人とは対照的に堂々と並んでいる。
デザインから細かに作り上げ実際に袖を通したものなのだが、当の本人であるエレノア自身がこれを纏って社交界の場にいることが想像もつかないと言うように、ドレスの前で静かに肩を落とした。
「きっと、上手にお話もできなくて逃げてしまう……でもこんなに目立つドレス、どこに逃げたらいいの……」
エレノアの誕生日会と銘打っているが実際は社交界への正式なお披露目、交流を深め当然名のある家の一人娘であるからには婚約者も考えなくてはいけない。
明日が来たら、16歳になったら今まではぐらかし続けてきた縁談の話もいよいよ逃げられなくなる。
「スキアーさん……」
明日も誰よりも目立つドレスで地面を見つめる私の側には、背筋を正し勇気をくれる彼が立っていてくれる。
歳の近いご令嬢の方々は素敵な靴やお洋服、恋の話をよくしている。
自分に好みがないわけではないけれど、お話に花を咲かせられるほど流行り物が好きなわけでもない。
それに、他の方のように楽しい恋のお話なんて私は持ち合わせていない。
結ばれぬ物語のように、従者に想いを寄せている、なんて……とても人には話せない。
まして噂好きの小鳥のように囀られて、きっとすぐさまお父様の耳にも入ってしまう。
そうしたら、スキアーさんは私付きの執事から外されて……もっと悪ければ暇を出されてしまうかもしれない。
それでも、他の誰かに胸を暖かく満たされる自分なんて明日の自分より想像がつかない。
「少し、お庭でスケッチをしましょう……」
眺めていたドレスから憂いたまま視線を落としたエレノアは自分の心を整理するように呟くと、手早くスケッチ道具を両手で抱え純白のドレスから逃れるように部屋を後にした。
緑の彩度が少しずつ落ち着いていき、ゆっくりと黄色に彩りを変えていく庭。
いつもより少しだけ、屋敷から離れた場所にエレノアは簡易椅子を立ち上げスケッチブックをめくりながら腰を下ろした。
初秋の心地よい風に思わず詰まった暗い気持ちが漏れるように、エレノアの唇から小さな溜め息が溢れた。
「ずっとこのままだったらいいのに」
分かっている。
エレノア・ポートマンとしてこの家に生まれたからには、この家の令嬢として役に立たねばならないことも。
私の恋が、最初から叶わないことも。
時間が絵のように留めておけないなんて、分かっている。分かっていて、それでも今このままでいられたら……そんな子供じみたことを考えて憂いて、その繰り返し。
そよぐ郷愁に拍車をかけられ溜め息をまた一つ溢すと、エレノアは鉛筆を手にモチーフも定めぬまま、己とは無関係に美しく秋に染まっていく庭を白い用紙に留めはじめた。
「秋ですね」
「きゃ……!!も、もうスキアーさん、驚かさないでください……!」
どれほどの時間が経っていたのか、集中しているエレノアの横顔にいつの間にかそっと仮面を寄せていたスキアーが、わざと忍ぶように声を落とした。
「失礼致しました、何度かお呼びしたのですが気づかれなかったのでつい」
驚いた猫のように椅子から飛び退き非難の声を上げるエレノアへ、さらりと謝罪をするとスキアーは運んできたテーブルをセットし甘い香りのするバスケットと温かいティーポットをそっと置いた。
「そろそろお茶はいかがですか?今日はお嬢様のお好きなアップルパイですよ」
「……いただきます」
少しだけ不服そうに語尾をすぼめると、エレノアはスケッチ道具を傍らへと置いて椅子へと座り直した。
てきぱきと慣れた手つきでアフタヌーンティーの準備をするスキアーの手を、盗み見るようようにエレノアの視線が追う。
たっぷりの砂糖で甘く煮ても後味に酸味を感じる林檎のフィリングが入ったアップルパイに、緩いカスタードが揺蕩うクリームポット。それに合わせて優しい渋みの立つ ダージリンのオータムナルが、芳醇な湯気を昇らせるティーポットからカップへと、少し高い位置から注がれる。
「美味しい……スキアーさんの淹れてくれる紅茶が一番好きです。いい香りがして、落ち着きます」
「お嬢様の心が休まるなら、いくらでも。ですがお悩み事でしたら、飲むよりもお出しになった方が良さそうですよ」
促すよりも強くない、いつもの寄り添う言葉に躊躇うように瞳を揺らしエレノアはティーカップを静かにソーサーへと戻した。
「……お誕生日が、少し……」
胸を押さえ押し殺したように呟く声を聞きながらスキアーはクリームポットを傾け、アップルパイの上からとろりとカスタードを回しかけるとエレノアの前に甘い一皿を静かに置いた。
「大丈夫、お嬢様は少々怖がりなだけで臆病ではありません。それにこんなに素敵なレディの社交界デビューなんて一大事……いいえ、百大事です。寄ってくるのがどこの馬の骨達なのか、しっかりエレノアお嬢様の側でスキアーが見定めさせていただきます」
「もう……大袈裟です、きっとドレスに着られて浮いてしまいます」
態とらしく真剣な物言いに思わず小さな笑い声を溢すと、エレノアはカスタードを吸い甘く重くなったアップルパイへと金のナイフを入れた。
口に運ぶと舌を直撃するじゅわりと染み出す甘さとわずかな酸味、カスタードのもったりとした風味が合わさり華やぐ香りの紅茶が流していく。
甘さで満たされるように陰っていたエレノアの心が優しく照らされていく。
昨日はサマープディングとジャスミンティー、一昨日はマカロンとアールグレイ。
甘いお皿とスキアーさんが淹れてくれるポットの中身だけが変わる、穏やかに繰り返される毎日。
甘くて優しいそんな日々が、こんな黄金の午後がずっとを望んでしまうくらい尊くて……大好きで……。
「エレノアお嬢様」
あなたが、名前を呼んでくれる声がまるで奇跡みたいで。
「もう少し秋が深まりましたら、紅葉のスケッチなどいかがでしょう」
慈愛のこもった美しい瞳に写される、パイみたいに薄くてすぐに破れてしまう幸せ。
「よろしければ、旦那様にお許しをいただいて絵を描く小旅行もいいですね」
どうしよう、どうしようもないのに胸があなたでいっぱいになってしまう。
いつまでも一緒に、いられたらいいのに。
「スキアーさんも、一緒ですか……?」
「勿論、エレノアお嬢様といつまでもご一緒にいますよ。他の方ではお嬢様の紅茶を任せられませんからね」
「ふふ、はい。スキアーさんの紅茶が飲めないのは困ってしまいます」
空になったお皿をバスケットに戻し紅茶のおかわりを注いだティーカップを差し出したスキアーが、ふと思い出したように左手を腹部に当て右手を後ろ手に回す大袈裟に仰々しいお辞儀をエレノアにすると、視線だけでちらりと屋敷を振り返った。
「あの、どうかされましたか?」
「旦那様からお嬢様へとお言付けを預かっていました」
きょとんと微かに首を傾げ、エレノアは続きの言葉を待った。
「お話があるので明日、書斎に来るように。とのことです。いけませんね、お伝えするのを失念していました」
明日__恐らくデビュタントの話をされるのであろうと再び陰りだした心に、エレノアは思わず口をついて出そうになった不安を押し留めた。
「スキアーさんが、いてくれるから……少しだけ、ですけど、頑張れる気がします。スキアーさん、お父様に明日の朝お伺いしますと、お伝えして頂けますか」
紅茶の香りが混ざる秋風を深く吸いこみゆっくりと吐き出すと、エレノアはカップ持ち上げ一口、自分の大好きな幸せな味を口に含んだ。