伝統と格式高いホテルの100周年に

幸運なお客様を迎えた特別な夜の幕が閉じました

これはその幕を開け、舞台を巻き戻した

 

千夜一夜、ベルントさんの一日

 


✧ Side Bernd ✧


Earlymorning


 ベルントさんの朝は早い。

 日の出よりも少し前、ベルントは暖かい布団の中でゆるゆると目を覚ました。

 大きな四肢を盛大に伸ばしてのったりとベッドから降りるとそのまま大きな欠伸をしながら、まだ暗い外を映す部屋の窓を開け放った。

 雪の匂いがする。キッチンからウインナー、トマト、ベーコン、タマゴ、熱いフライパンに乗ってる美味しい匂いがする。
 今日の朝ご飯はフルブレックファーストだ。

 すんすんと色々な匂いのする空気を肺いっぱいに吸いこむとベルントは寝ぼけ眼だった目をパッチリと開き、今度は両手を高く上に伸ばした。

「今日もドアマンとして頑張って美味しいご飯を食べますよー!」



一、寝癖を残してお客様の前に出てはいけません。

 面倒だけどウズリフに怒られるので朝のシャワーをささっと浴びて着替えて、朝食を食べにキッチンへと向かう。
 部屋からキッチンまでの道すがらホテルスタッフの寝泊まりする使用人部屋から出てきたピンクのふわふわした三つ編み、ダニエルが合流した。

「あ、おはようございます。ベルントさん」
「おはようございます!ダニー」

 自分より少し下にある三つ編みは少し笑いながらこちらを見ている。

「なんだかベルントさんご機嫌ですね。今朝はいい夢でも見たんですか?」
「今日の朝食はフルブレックファーストです!クランペットの匂いもしたから、今日も美味しい朝ご飯ですね」
「へぇ!相変わらずベルントさんは鼻が良いんですね。窓を開けても僕にはちっともです」

 凄いです、と笑うダニエルもとてもいい匂いがする。自分の大好きな甘くて、おいしそうな匂いがする。

 ああ、でもまだ我慢しないと。食べたい。でも、とびきりのご馳走の時まで我慢。

「ベルントさん?どうかしましたか?」
「なんでもないです。ダニーはピンクでふわふわでいいですね」

 きっとおいしいデザートになりますね!



 キッチンに着くと既に他のスタッフ達は席に着き、焼いたトマトやベーコン、煮込まれたビーンズ達が並んで山を作る大皿から各々の皿にイギリス定番のブレックファストを作っている。

「おはようございますベルントさん!ダニエルさん!2人はお飲み物なににしますか?」

 今日の給仕当番らしいベネロペがにっこりと笑顔で、ティーポットとコーヒーポットを片手に首をちょこんと傾げた。

「おはようございますベネロペさん。あ、手伝いますよ!自分の紅茶を淹れるついでにあっちのテーブル回ってきます」
「私はたっぷりミルクとトーストとクランペット大盛りください!」
「ありがとうございます!はい、ベルントさんはどっちも大盛りとたっぷりミルクですね。すぐに持ってくるので少し待っててください!」

 ティーポットを片手に賑やかなテーブルに向かうダニエルとお団子をぴょこっと揺らし駆け足で調理場に向かうベネロペを見送ると、ベルントはビュッフェスタイルの先頭に立ち大きなお皿を3枚手に取った。

 美味しそうな見た目と美味しそうないい匂いに釣られるまま手に持った皿に美味しい山を積み上げ、空いている席に座り目の前の皿とベネロペが去った方を切ない顔でそわそわと見比べる。

 まだだろうか……。なんか待てをされている気分だ。早くご飯来ないかな……。


「ふふ……お待たせしました。たっぷりミルクと大盛りのトーストとクランペットです!バターとママレードもどうぞ」

 暫くして両手に銀の盆を持って現れたベネロペは眉を下げ笑うと、これでもかとにぱー!と口角を上げるベルントの前に香ばしいカリカリトーストとほかほかの湯気を立てるクランペットが山盛りの大きな皿とミルクで並々と満たされたジョッキを置いた。

「わは!いただきます!!」






Afternoon


「そろそろ昼食の時間ですかね!」

 お客様の出迎え、見送りも一段落した少し遅い昼過ぎ。
 笑顔でホテルを後にする家族を見送りベルントは丁寧に扉を閉め、昼食の香りにご機嫌でエントランスへと戻ってきた。

「私はさっき済ませましたけど……あの、多分ベルントさんはまだじゃないでしょうか……」

 館内の植物に水やりをしていた途中であろうガラスと真鍮の霧吹きを持ったアビゲイルが、言いづらそうに声をかけてきた。

「そんな……なんでそんな酷いことするんですか……」

 通りかかったアビゲイルの返答にこの世の終わりのような顔をして思わず膝から崩れ落ちそうになる。

二、お客様の前では背筋を正します。

 ぐっと、曲げかけた膝を伸ばし代わりにどよんとした目で悲しそうにアビゲイルを見つめた。

「違くて……ガーデナーの方に木の伐採と薪にするのを手伝ってほしいって、ベルントさんさっき頼まれてましたよ」
「そうでしたっけ?」
「はい……」

 はて?と言わんばかりに綺麗に忘れていた顔でにこにことするベルントにさらに言いづらそうにアビゲイルは続ける。

「あと、今日はデザートが人数分足りないみたいで、急がないと売り切れるかも……」
「そんな……!ガーデナー!ガーデナーはどこですか!」
「ベルントさん……!声、声大きいです……!ガーデナーさんなら多分裏庭にいますから」

 突然の大声にあわあわと自分の口の前に人差し指を立て「しー!です!しー!」と小声でアビゲイルに言われ、はっとしたようにベルントも己の口の前に人差し指を立てた。

三、館内では大声を出さないようにしましょう。

 ふう、あぶない。ウズリフに見られるところだった。セーフセーフ。

 踵を返しエントランスの扉に手をかけると、思い出したようにふとアビゲイルを振り返った。

「アビゲイル!今日のデザートはなんでしたか?」
「トライフルでした」
「ガーデナー!!ガーデナーー!!!」





「ひどい……」

 ベルントはスタッフの閑散としたキッチンに入ると椅子に座り、ぐったりと目の前のテーブルに突っ伏した。

 ガーデナーには春前にやらねばいけないからとこれでもかとこき使われ間伐を5本。そこから来年の冬の為だと解体と薪割り。

 雪の積もった極寒の中での重労働に身体は冷えきり流石に疲労困憊。それでも大急ぎで作業をしたがかなり時間もかかりエントランスに戻る頃には、ブランチにしても遅い時間になってしまった。

 さらにエントランスの扉を閉めるとどこからともなく現れたウズリフにお客様が滞在しているホテルで大声とは何事ですかと窘められ長い長いお説教が始まり、解放された頃にはアフタヌーンティーの時間になっていた。

 目を閉じぺしょりとしているベルントの鼻先に、とてもいい匂いがした。

 目を開くと、まさに山のように詰まれたトライフルの上からチョコとベリーの2種類のソースが流れナッツやチョコ、砕いたキャンディが振りかけられた大きな皿が目の前に現れ疲れ切った体に蠱惑的なほど甘い匂いを漂わせている。

「アビゲイルさんから聞いてデザート用意しておきましたよ。お疲れ様です、こちらビックサンダートライフルです」
「わは!!シェフー!!」

 喜び跳ねるように立ち上がったベルントは勢いそのままにシェフの肩を掴むとぶんぶんと前後に揺さぶり満面の笑顔で全力の感謝を伝えた。そしてついでに夕食のオーダーも伝えた。

「今日は疲れたのでたっぷり肉料理がいいです!」
「今日はスターゲイザーパイです」
「イヤです……」








Midnight


 出入りするお客様もいなくなった真夜中。
 宿泊客もスタッフも館内中が眠りにつき太陽の出ていた時間とはうってかわって静まり返ったエントランスホールに、昼間と変わらぬ姿のベルントが一人立っていた。
 扉の側に立ちまるでこれから来るお客様を待つようにじっとしている。

 デイジーがくれたマシュマロがたくさん乗ったココアも飲みおわった。ベネロペから貰ったキャラメルがあと2つ。少し眠いしお腹が空いてきた……。

「ふわぁぁ……」

「わんわん」

 自分以外無人のエントランスホールに小さく響いた欠伸の後、幼い女の子が聞こえ咄嗟に思わず毛を逆立ててベルントは振り返った。
 するとエントランスの階段を降りてきたのであろう、小さなお客様が眠そうにベルントを見ていた。

「お客様どうしたんですか?」
「お母さん起きなくて寝れなくて」
「では遊びましょう!」

 女の子へ近づき目線を合わせるようにニコニコとしゃがみこみ問いかけると、不思議そうな顔をしてベルントと地面を見比べながら女の子は首を傾げた。

「影、さっきおっきな犬があくびしてた。お兄さん、わんわんなの?」
「へえー、変わった目ですね」

 ベルントは女の子の顔を両手で、ぽふ、と挟むと面白いものを見つけた様子で小さな顔をむにむに動かし暫し目をじっくりと見続けた。

「しつこい……」

 女の子がベルントの大きな手を剥がそうとぺちりと叩いた。

「すみません。なにして遊びますか?」
「夜は寝る時間だから、遊ばないの」
「そうですか」
「だからわんわんも、寝ないといけないのよ」

 女の子は年下の子に言うように諭すと、散歩中出会った犬にするようにベルントの頭をゆっくりと撫でた。

「今夜はお仕事をするんです!」

 手を振り小さなお客様を見送り、ベルントは再びエントランスドアの横にじっと立ち残り1つになったキャラメルをいじりながら待ち続けた。





 すんすんと色々な匂いのする空気を肺いっぱいに吸い込む。真っ白な百合の強い匂い。さっき食べたキャラメルの甘い匂い。ハウスキーパーが清掃していた床からする洗剤みたいな匂い。
 悪い人間の匂い。

 ベルントはゆっくりと丁寧に扉を開けた。

 月明かりが差し数人の黒い人影を白い雪原にくっきりと映し出している。
 ホテルにチェックインをしに来る宿泊客からはかけ離れた真っ黒な出で立ちに、手に持った物騒なもの。

「やっと来ました!お客様ですか?」

 ベルントは業務中のように腰を折り問いかける。
 招かれざる客は話をする気もないようで、思わぬ待ち構えに一瞬動揺した後一人が長いバールのようなものを振りかぶった。

四、チェックインなく門を潜る者はお客様ではないので……

「いただきます!」





 ベルントさんの夜は遅い。

 手を洗い汚れを流すと暖かい布団の中に潜りこみ、満腹の幸せな眠気にゆるゆると目を閉じた。


2025,02/05. Happy Birthday Bernd!
執筆:アル